風呂2
出典: Jinkawiki
古くから存在する楽しみの一つ「入浴」。今や我々の生活の一部となった風呂という文化はどう始まり、どう変わっていったのだろうか。
風呂の発祥
古代最初のギリシア衛生学者ヒポクラテスは万人が尊ぶ健康は血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁という四種の体液のバランスいかんに左右されると考えていた。入浴は湿り気をもたらす特性から言って人体組織内の調和に一役買っていた。病気による変調とは逆の結果を出すことで治療に結び付けることもできた。ヒポクラテスは頭の病気などある種のはっきりとした症状には湯浴を処方した。湯の熱には偏頭痛の沈下に、熱い蒸気は耳の病を和らげる。他にも様々な効能があったが、病人には湯浴を、健常者には冷水浴が勧められていた。冷水浴には体を引き締める効果があったからである。つまり風呂とは医学的に始まったもので、今のような娯楽とも呼べる形ではなかったのだ。
風呂の変化
風呂の変化は様々あるが、やはり一番大きいのはローマだろう。運動によって筋肉を温めていたそれまでのやり方に代わって、やがては湯浴して筋肉を温めるようになった。流水をシャワーのように振りかけていたヘレニズム時代の習慣は廃れ、ゆっくりと身を沈めるローマ式入浴が広がったのだ。引き締まった体を堅持していたローマ人は夜になると、身体運動ではなく宴と入浴で疲れを癒した。入浴は一種のご馳走であり、客人は風呂を使わせてもらうことも可能だった。湯を使う入浴は清潔さを保つ行為であると同時に、愉しい宴の同義語に他ならなかったのである。ただし最初は私邸にしか充実した風呂はなく、次第に市民の要求が募り大浴場の建設へとつながっていった。
日本の風呂
日本では六世紀ごろに仏教上で汚れを落とすことも仕事であり功徳だとされていたために多くの寺院に設置された。しかし当時は今と同じような「湯」と熱い蒸気による蒸し風呂のような「風呂」の二つに分かれていた。その後安土桃山時代に銭湯ができ、江戸時代初期に肩までつかる湯の入り方が始まった。そして昭和になり家の中に風呂ができるようになった。こうしてみると今の風呂の形は意外と新しいことが分かる。
参考文献:ドミニック・ラティ著 高遠 弘美訳(2006)「お風呂の歴史」白水社
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