日本の下層社会

出典: Jinkawiki

2020年1月30日 (木) 17:11 の版; 最新版を表示
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戦前の日本の社会を調査し、日本の社会福祉に大きな影響を与えたものとして横山源之助の「日本の下層社会」という著書がある。

著者である横山源之助は明治・大正期のジャーナリストで、二葉亭四迷、松原岩五郎らの影響で社会問題に関心を寄せる。1894年に毎日新聞社に入社し、桐生、足利の機業地、北陸、阪神地方の工業地帯を調査して、そのルポルタージュを毎日新聞の紙上に連載した。この連載がのちの「日本の下層社会」にまとめられ、これは当時の日本の資本主義興隆期における労働者階級の実態を公表したものとして評価された。
横山源之助は「日本の下層社会」を執筆するにあたって、内職や日雇い労働で暮らしを立てる人々の生活を取材し、貧民窟に自ら赴き、車夫、くず拾い、芸人などさまざまな職業の人々を取材し、賃金などのデータを詳細に列挙していった。また、マッチ工場を取材した際も原料の仕入れ値や商品の価格、職工の年齢分布、賃金や労働条件などを、契約書の条文まで例示しながら説明している。これらの調査によって完成された「日本の下層社会」は、日本で着実に進んでいる貧困化や格差の広がりを世の中に周知する貴重なものとなった。

また、この他にも政府が1903年に実施した労働者の実態調査の報告書である「職工事情」が農商務省から発行され、産業革命期の労働者特に女工を中心とする劣悪な労働条件下の労働者の実態が明らかにされた。この調査報告の報告書をまとめる作業は、当時の農商務省書記官であった窪田静太郎が主任になり、農商務省嘱託である法学博士の桑田熊蔵をはじめとする、法律、政治、経済、建築、衛生、機械、化学の専門家が、内外の事情を調査し、実際に各地の工場を視察して現状と弊害を確かめながら行われた。

この調査報告は1911年に帝国議会で成立した日本初の工場法に大きく影響を与えており、労働立法の成立に大きく寄与した記録であると言える。1911年に成立した工場法は、少年および女性の労働時間を12時間までとし、深夜残業を禁止したが、15人以上を勤務させる工場に適用用範囲が限られたことや、製糸業・紡績業では14時間労働で深夜業を認めたことから徹底には至らなかった。しかし、1923年に工場法は改正され、常時10人を勤務させる工場に適用範囲が広くなったことに加え、原則12歳未満の就業を禁止し、就業時間は12時間から11時間に短縮、保護職工とされる年少者の範囲は15歳未満から16歳未満に変更された。改正後の工場法は、1947年に労働基準法が施行されるまでつづいた。

・参考文献 社会福祉の歩み 金子光一 有斐閣アルマ


  人間科学大事典

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