ポツダム宣言
出典: Jinkawiki
== ポツダム宣言とは ==
1945年7月、ベルリン郊外のポツダムで、トルーマン・チャーチル(のちアトリー)・スターリンが、欧州の戦後処理と対日戦終結方策を討議。7月26日、英米中3国の名で日本に降伏を勧告。終戦の条件として、軍国主義の絶滅・領土制限・民主化促進などを列挙。日本政府は8月14日これを受諾して無条件降伏。戦後、占領政策の基点となった。[1]
ミッドウェー海戦での大敗や、沖縄戦などの戦いを経て日本は終戦を迎えた。日本の本土決戦が確実となった段階で日本が降伏していれば、多くの日本国民が犠牲にならずに済んだであろう。日本の敗戦が決定的となるまで戦い続けたのは、「教育勅語」全十二の徳目の「義勇」と何か関係があるのだろうか。
関係者
①スターリン(J.V.Stalin)……1869~1953。ソ連の政治家。レーニンの指導者としてソ連共産党・政府の独裁的最高指揮官。第二次世界大戦を指導。戦後は 「冷たい戦争」の立役者。[2]
②チャーチル(W.S.Churchil)……1874~1965。英国軍人。保守党・政治家。第二次世界大戦のときに首相となり、ポツダム宣言まで戦争を指導。戦後、「鉄 のカーテン」演説を行う。[3]
③トルーマン(H.Truman)……1884~1972。アメリカ第33代大統領(任1945~53)。ローズヴェルト大統領の急死により副大統領から昇任、トルーマン=ド クトリンを声明。[4]
《参考文献 [1]~[4]》
日本史B用語集(2007) 山川出版社
R.Tera