棄捐令
出典: Jinkawiki
棄捐令は江戸幕府が旗本・御家人救済のために出した法令。 札差に対する借金の帳消しや低利による年賦償還などを命じたもの。 1789年に寛政の改革で松平定信、1843年に天保の改革で阿部正弘が改革の一環として実施した。 松平定信は1784年(天明4)以前の借金はすべて破棄し、以後の借金は50両につき月1分(年利6%)の低利、高100俵について元金3両ずつの年賦返済をすることとした。この結果、札差らは打撃を受け、その棄捐金額は約120万両に達している。 阿部正弘はそれ以前の借金すべてを無利息年賦払いとするなどとした。札差らの打撃は大きく、なかには廃業する者も出た。
御触書天保集成(※1)によると内容は以下である。 一、旗本・御家人が札差どもから借金した利子は、今後、金一両について銀六分ずつの計算とし、利下げを申し渡したから、借金する者は、今まで通り、札差しと当事者できめること。 一、旧来からの借金はもちろん、六年以前の一七八四年までに借りた金は、古くからの借金とか新しい借金とか区別せず、貸借無効と心得ること。 一、この年五月の禄米支給以後の借金は、一ヶ月金一両について銀六分ずつの利子で、この冬の禄米で支払い、もし借金が沢山あって、返済すると生活が困る者は、借金返済については分相応とし、生活に困らないように、今まで通り、当事者で決めることを札差どもへ命令しておいた。
棄捐とは、債権放棄のことで中世の徳政令にあたる。棄捐令は、そもそも旗本・御家人の救済がねらいではあったが、金融上の混乱をさらに強める結果となった。
※1 1788(天明8)~1837(天保8)年間の幕府の御触書を整理分類した書。1841年完成
参考文献:精選日本史資料集 第一学習社