ミッション・スクール

出典: Jinkawiki

2008年10月22日 (水) 17:50 の版; 最新版を表示
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 狭義では、キリスト教諸国から布教(mission)を目的として、修道会や外国宣教会また伝道局(mission board)が、非キリスト教地域に創立し、経営にあたる学校一般を示す。しかし、広義で、日本では、日本人信者が創立した学校も含めて、カトリックやプロテスタントなどのキリスト教系学校の総称を指す。ミッション・スクールが日本で展開したのはキリシタン禁制の緩み始めた幕末維新期からで、著しく進展した時期は、明治期と第二次世界大戦後から1970年代の高度経済成長期にかけてである。

歴史背景


維新前1863年、米国長老教会から派遣された宣教師夫妻が横浜に明治学院大学の前身となる塾を開設した。布教手段という狭義に意味でのミッション・スクールが台頭したのは、キリシタン禁令の高札が撤去された1873年以後から昭和初期までである。明治期にプロテスタントは、この期間に開校したカトリック16学校の約3倍近くを設立させ、そのほぼ8割が、明治20年代までに誕生している。明治期に設立されたプロテスタント学校の4分の3は、現在の大学・短期大学の前身となっており、この中には、女子学院中学校・高等学校、立教大学、同志社大学、青山学院大学がある。一方、カトリックでは、1880年、パリ外国宣教会によって派遣された修道女会が、築地語学校を開校してからである。明治期に設立されたカトリック学校の7割が明治30年代以後で、この中から現在大学・短期大学となったのは半分であり、白百合女子大学、聖心女子大学、上智大学などがある。次に、ミッション・スクールが顕著に増加したのは、第二次世界大戦後から1970年代で、戦災孤児の救済や教育復興のために、1955年までに20余の修道会や宣教団が来日し、新たに学校を設立した。現在のカトリック系高校の約7割が戦後に設立されている。また、日本経済の回復、ベビーブーム、高校・大学への進学率の上昇により、教育への需要が高まり、戦前に開学したミッション・スクールも、大学や短大を設置し、付属校や系列校を設けて全体数が増加した。明治期に進展した狭義の意味での海外からの布教目的の教育から、邦人によるキリスト教を教育理念とした一般的な教育へと変化した。1951年、プロテスタント系の学校では、伝道を目的とした教育から一般教育主体に変化したことから「キリスト教主義学校」と呼ぶことにしている。高度経済成長期以後、海外からの人的、経済的な援助も減ってきており、1990年代に入ってからは、とくにカトリック系では、修道者の減少と高齢化により、経営母体を維持できずに1995年、同一国の男女別々の修道会が経営母体となる南山大学と聖霊短期大学との法人同士の合併や、1997年、天使大学のように俗人信者に経営権を移譲するなどの例も出ている。


教育内容


 宗教教育の内容としては、授業、日々の礼拝、行事を通して実施されている。授業については、大学や短期大学では、一般教養の必修科目として、「キリスト教学」「キリスト教学概説論」「キリスト教倫理」「聖書」「宗教学」または一部のカトリック大学では「人間学」などの名称で開講し、2~4単位の取得を義務付けている。高校では、「聖書」「宗教」「倫理」などの名称で1単位必修としているところが多い。小・中学校では、高校と同様の扱いが多いが、「道徳」の名称を用いているところも見られる。また、日々の礼拝では、大学や短大では、決められた曜日での「チャペル・アワー」が開かれたりするが。小・中・高校では、毎日始業と終業時にクラスで礼拝や賛美歌の斉唱をするところも見られる。年間行事では、クリスマス降誕祭は、ほぼどの学校でも実施されているが、カトリック系では入学、卒業時に感謝のミサを開くところがみられる。また、プロテスタント、カトリック問わず、小・中・高校だけでなく「修養会」「リトリート・キャンプ」といった名称で宿泊研修を実施する大学も見られる。


  人間科学大事典

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