壬申の乱
出典: Jinkawiki
<壬申の乱>
天智天皇の死後後つぎをめぐる争いが、天皇の弟、大海人皇子と天皇の子である大友皇子との間でおこり、豪族たちも2つに分かれ幾何を中心にした大戦乱となった。この戦いで勝利した大海人皇子は、天武天皇となり天皇の祖先や日本の歴史を整理してまとめる仕事を命じるなどして(後の古事記、日本書紀になる)、天皇の地位を高め、新しい天皇中心の政治体制を協力に作りあげていった。
<なぜ壬申の乱は起こったのか>
当時天皇の後継者は子どもがなるときまっていたわけではなく、天皇の弟などがなる場合も、珍しくなかった。特に天智天皇の場合、子である大友皇子の母の身分が低かったので、皇位継承において、大海人皇子を支持する者が、朝廷内には多かった。 また弟の大海人皇子に愛されていた額田王を自分の妃にしてしまったり、反対の声を聞かずに都を大津宮に移したりなど、強引なところがあった天智天皇の性格に対する豪族たちの反発が強かったのではないかとも考えられる。 また戦前は教科書から壬申の乱が削除されていた。戦前の教育では、天皇は絶対的な存在であり、争わないことになっていたためであった。
参考文献
「総合的研究社会」旺文社