白村江の戦い

出典: Jinkawiki

2009年1月22日 (木) 21:29 の版; 最新版を表示
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目次

白村江(はくすきのえ・はくそんこう)の戦いとは

663年(天智2)8月、倭国(後の日本)と百済の遺民の連合軍と唐・新羅連合軍との戦い。唐・新羅連合軍の勝利に終わった。 大陸に超大国唐が出現し東アジアの勢力図が大きく塗り変わる中で起きた戦役で、その後の倭国(日本)にも大きく影響した。百済は、新羅の百済攻撃を抑えるため、新羅の南岸を攻撃した。唐・新羅軍に首都の泗沘城(扶余ふよ)を落とされて滅亡した百済救援のために、朝鮮半島に赴いた日本の水軍が日本の水軍が合流しようと、錦江河口の白村江に押しかけた。そこで待ち伏せしていた唐の170隻の水軍との間に戦闘が始まったのだ。 そして、唐の水軍に大敗した戦い。百済の復興はならず、日本は朝鮮半島の足場を失った。日本では白村江(はくそんこう)は、慣行的に「はくすきのえ」と訓読みされることが多い。中国・朝鮮側では「白江」と表記される。 白村江の戦いにおける倭国軍の敗退は、唐軍の圧倒的な物量に対する敗北であったといわれることが多い。ただし、倭国及び唐の水軍の規模と戦力について述べた史料をのせておく。倭国側と中国側とでは数が違う。

背景

660年前半、当時、倭国と呼ばれていた日本は、朝鮮半島にあった百済という国の復興運動に対して大規模な軍事介入を行った。その結果、中国の唐帝国を敵に回して、戦うことになった。これを、百済の役または、百済救援戦争と呼ぶ。そして、この最終的な戦いとなったのが、白村江の戦いである。

政府は豊璋を百済に送り、斉明天皇・中大兄皇子ら政府首脳がみずから百済救援の遠征軍を率い、また徴兵した兵を組織しつつ西に向かった。しかし、王につけてもらった豊璋は百済遺臣たちと対立し、生活しやすい場所に移ったところを新羅軍に攻撃されるなどして、次第に支配地を狭めていった。 一方、日本では、斉明天皇が没し、かわって中大兄皇子が即位しないまま国家の全権を握った。


交戦と指揮官と戦力

唐・新羅軍

金法敏(文武王)・劉仁軌             

唐軍 7,000人 唐船舶 170余隻 新羅軍 5,000人

倭国・百済遺民勢力

阿倍比羅夫・扶余豊璋 (ふよほうしょう)             

倭国軍 42,000人 倭国船舶 800余隻 百済軍 5,000人

日本軍は上毛稚子(かみつけのわくご)が率いる前軍と巨勢神前訳語(こせのかんざきのおさ)が率いる中軍と阿部比羅夫が率いる後軍の三段攻撃態勢を作り、四度の波状攻撃をかけた。しかし、規模・装備にまさる唐の船に包囲されて、400隻の船を失って大敗した。

史料より

倭国側 「唐軍の諸将は兵船百七十艘を率いて白村江に布陣を完了した」 「日本書紀」より

中国側 「倭国水軍の船四百艘を焼き払った」 「旧唐書」劉仁軌伝より


戦い後

この戦いで百済は滅亡し、やがて高句麗も滅びた。唐を敵にして戦った日本も唐の報復をうけることを恐れた。日本政府は博多にあった大宰府を背振山(せぶりやま)の南まで動かして、朝鮮式山城や水城(みずき)という長い堤を築いた。また、東国の防人(さきもり)を北九州の守りとして配備させた。緊急連絡のために都まで烽(とぶひ)という狼煙(のろし)の設備を儲けさせた。そして、これからの戦いのために、国内改革をいそいだ。

影響

倭国は、百済滅亡で多くの百済難民を受け入れるとともに、唐・新羅との対立を深めた。倭国は、唐の圧倒的な戦力とそれを支える完成した国家体制に惨敗したとされている。その影響で急速に国家体制が整備され、天智天皇のときには近江令をつくり、天武天皇のときは最初の律令法とされる飛鳥浄御原令の制定が命じられるなど、律令国家の建設が進んだとされる。 701年の大宝律令制定により倭国から日本へと国号を変え、新国家の建設はひとまず完了した。以上のように、白村江の敗戦は、倭国内部の危機感を生み、日本という新しい国家の建設を結果としてもたらしたと考えられている。 なお、百済王の一族、豊璋王の弟・善光(または禅広)は朝廷から百済王(くだらのこにきし)という姓氏が与えられ、朝廷に仕えることとなった。その後、陸奥において金鉱を発見し、奈良大仏の建立に貢献した功により、百済王敬福が従三位を授けられている。

参考・引用

日本史B用語集

「白村江 古代東アジア大戦の謎」 遠山美都男

wikipedia

「早わかり古代史」 松尾 光編著  日本実業出版社


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