陶片追放
出典: Jinkawiki
陶片追放は、古代アテナイで、僭主の出現を防ぐために、市民が僭主になるおそれのある人物を投票により国外追放にした制度。険人物の名を陶片に記入して秘密投票し、六〇〇〇票を越えた者は一〇年間の国外追放とした。 陶片に記入して投票したことから陶片追放といわれる。
オストラシズムあるいはオストラキスモスとも言われている。
アテナイにおいて僭主ヒッピアスを追放したあと、クレイステネスが紀元前508年ころに定めた。 本来の目的は、市民の不満を煽り立てて利用し非合法的に政権を握る独裁者、いわゆる「僭主」の出現防止にあった。しかし、この制度は本来の目的を失い、悪用され、しばしば政争の道具として使われている。例えば、実績を挙げた者が嫉妬により投票され、政争で相手を陥れるために誹謗が煽り立てて宣伝されるということも起こった。ペルシア戦争におけるサラミスの海戦で活躍したテミストクレスも後に陶片追放によってその地位を追われている。 結果として、多くの優秀な人間や市民のために尽力した人間が追放されるに至った。 陶片追放は、10年間の国外追放が言い渡されたとされるが、追放された者が犯罪者のように扱われたわけではなく、一定の追放期間後には政治の主導権を握ることも可能であったし、彼の市民権・財産などが否定されることはなかった。また、有事の際には10年経っていなくても本国へ呼び戻されることもあった。
陶片追放にはこんな逸話が残っている。
古代ギリシャの指導者アリスタイディーズは、ある男から文字が書けないで陶片にアリスタイディーズと書いてくれと頼まれた。アリスタイディーズは、何故その人を追放したいのかとたずねると、“今まで何の迷惑も受けていない。会ったこともない。しかし、あまりにも評判がよいのが気にいらない”─。
このように、嫉妬や噂で追放者を決めていたことが多く、陶片追放に古代アテナイが衰退する一因を見いだす見解もある。 前5世紀末には行われなくなった。