キリスト教の伝来
出典: Jinkawiki
キリスト教は1549(天文18)年、イエズス会の宣教師フランシスコ=ザビエルによって伝えられた。ザビエルは、人をあやめインドのゴアに逃れていた薩摩のヤジローと出会い、案内され鹿児島に上陸した。それからザビエルは、島津貴久と会見しキリスト教の布教の許可を得、布教活動を行った。これは、イエズス教団のキリスト教であったが、ヨーロッパで宗教改革の影響を受けただけであって、清新で、大名(キリシタン大名)をはじめ、多くの信者を獲得した。そして、各地に南蛮人・セミナリョ・コレジヨが設立され、1582(天正10)年には、伊東マンションなどの天正遣欧施設がローマ教皇のもとへ派遣された。このキリスト教の伝来には、大航海時代にインド航路を開拓したポルトガル人が、当時東アジアで活躍していた倭寇と交易をして徐々に交易の範囲を北に広げていったという背景がある。
史料からみる
1549年、サン・ジョアンの祭日の午後、日本へ渡航するため、我等(フランシスコ=ザビエルの一行)は、マラッカ※1から我等を日本へ連れて行くマラッカの司令官に申し出た異教徒の中国商人の船に乗った。その船は日本の他の港へ入ることができず、1549年8月、聖母の祭日、サンタ・フェーのパウロ(日本人アンジロー)※2の故国である鹿児島に到着した。彼の親戚やその他の人々は、大なる愛情を示して我等を迎えた。 日本について我等が見聞きして知り得たことを述べてみると、第一に我等が到着以来交際した日本人は、ヨーロッパ人が地理上の発見を行ったどの地域の人よりも、最良の人々であり、異教徒の中で、日本人よりも優れた人間をみることはできないと思われる。日本人には礼節を重んじ、一般に善良で悪気がなく、何よりも名誉を大切にしていることは、驚くべきことである。
※1 マラッカ 古来港町とし繁栄し、1511年ポルトガル領、1641年オランダ領、1824年イギリス領となった。現在はマレーシアに属している。
※2 サンタ・フェーのパウロ 日本人アンジロー(ヤジローともいわれる)の洗礼名。彼は鹿児島の武士であったが、人を殺し、海外に亡命した。マラッカでザビエルと会い、その信者となり、日本伝道をすすめた。
(耶蘇会士日本通信)
参考文献
精選日本史史料集 第一学習社