大津事件

出典: Jinkawiki

2009年1月27日 (火) 18:07 の版; 最新版を表示
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1891(明治24)年5月11日、来日中のロシア皇太子が、大津市を訪れたとき、警備中の巡査・津田三蔵にサーベルで切りつけられるという事件がおきた。皇太子は軽傷ですんだが、ロシアとの関係が悪化することを恐れた政府は、当時の皇室罪をあてはめて巡査を死刑にするようにはかった。なかでも陸奥宗光は過激な議論を展開している。暗殺者をやとって津田を消してしまえばいい、何らかの手段をもってころしてしまえば事態はすぐにでも解決すると言っている。このとき、もっとも多くの人々の意見が傾いたのは、ともかく死刑に処すべしというもので、現行法で死刑にできなければ、緊急勅令で死刑にすればいいと考えた。ところが、やはり刑法には外国王子に対する規定がなかったので、司法内部は一般の殺人未遂として扱うほうかはないとして政府と対立した。  このとき、児島惟謙大審院長(現在の最高裁長官にあたる)は、「法の尊厳と裁判の独立を守ることこそ国家の自主性を確立する道である」と説き、事件担当の裁判官を励ました。  その結果、無期懲役の判決が下され、近代立憲主義の基本原則である司法権の独立が守られたのである。


*司法権の独立をめぐって

児島大審院はのちに「護法の神」と呼ばれた。だが一部では、「政府からの干渉から司法権を守ろうとした気持ちは十分わかる」としながらも、「大審院長として担当の裁判官に指示したことは、これまた独立であるべき裁判官への干渉だ」という評価もある。


<司法権の独立>

 公正な裁判のために、憲法では、裁判官は自らの良心のほかには方以外の何ものにも拘束されないこと、特別な理由なしにはやめさせられないことなど、一般の公務員より一段と強い身分の保障を認めている。


・裁判官の独立

  身分の保障…裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行ふことはできない。


  職権の独立…すべての裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行いひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

  経済的保障…裁判官は、相当額の報酬を受ける。在任中、減額はない。


・裁判所の独立

  司法権と裁判所…視保険は、最高裁判所と下級裁判所に属する。

  最高裁判所の規則制定権…裁判所は裁判所で必要な規則をつくることができる。

  違憲立法審査権…憲法の番人。これは国会や行政の一切の法律・命令・規則や処分が憲法に適合するかを具体的な事件との関連で審査する権限であり、すべての裁判所に認められている。


・例外

  裁判官の弾劾裁判

  国会議員の資格争訟裁判


時代背景

元来日本には、明治維新より中国を恐れると同時に、ロシアを恐れる、俗にいう恐露病があった。ロシアが南下してくれば日本の独立が危うくなるという意識が、政府のなかでは周知の事実であった。ロシアは大津事件が起こる数年も前にシベリア鉄道を完成させていることから、ロシア皇太子を日本が呼ぶのは、外交上の親善のためであったというが、ロシア皇太子は実は日本の国力の状況や軍配備を見て、戦争の準備をはかっているのではないかという説が来日前から日本国内で流れているほどロシアに対して警戒心を持っていたのである。

ロシア側の姿勢

津田三蔵の無期徒刑という結果を、ロシアはしぶしぶ了承した。そもそもロシアは、日本は当然津田を死刑に処するものであると考えていたわけである。ロシアの考えるこの事件の筋書きは、死刑という処罰を与えられた津田に対し、ただちにその犯人の命を救って無期懲役に減刑せよとロシア側から頼み込んで、それを受ける形で日本が無期懲役を言い渡す、というものだった。このようにして、外交上日本にたいして優位な立場を取ろうとしていた。


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