メガロポリス

出典: Jinkawiki

2009年1月29日 (木) 11:47 の版; 最新版を表示
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「メガロポリス」は、北東部の沿岸に隣接する独立した広大な大都市圏が次第に融合することによって形成された。これらの大都市の人口が増加するに従い、その影響は周辺のより小さい地域に波及していった。こうした大きなリング状の郊外地域は、それ自身都市のスプロール化を進めた。そうして生まれた大都市圏の外縁部分が最終的には相互に融合し始め、遂には広範な都市化地域が形成されることとなった。

 「メガロポリス」の最大のテーマは「都市性」(urban-ness)である。程度の差こそあれ、都市サービスはこの地域に住む数百万の人々の生活を支えている。そうした都市の形態には大きな差異はない。オフィスビルやアパート、小規模店舗や大型ショッピングセンター、工場、精製所、住宅地、ガソリン・スタンド、ハンバーガー・ショップなどが数え切れないほど立ち並び、その合間には船や鉄道、トラックで運び込まれた商品を一時的に保管する倉庫がある。そしてこれらすべてがこの地域の800キロメー

トルにわたって並んでいる。

 一方、「メガロポリス」にはたくさんの緑地も存在する。レクリエーションに使える公園などの場所があるし、優に300万ヘクタール以上の土地が農地に利用されている。
 「メガロポリス」には様々な特徴があるが、この地域が米国できわめて重要な位置を占める理由は都市地域として大きな存在感を持つからである。1990年時点で人口が100万人を超える46の大都市圏のうち、10カ所は「メガロポリス」にあった。この地域は米国の総人口の17%を占めるが、面積ではわずか1.5%に過ぎない。
 1人当たりの平均所得は高くホワイトカラーおよび専門職に就く居住者の比率は全米平均よりも高い。輸送と通信の活動はきわだって大きい。その理由の1つは、この地域が持つ海岸沿いの立地条件にある。民間航空の国際線を利用する旅客のおよそ40%は「メガロポリス」内の空港から出発している。さらに、米国の輸出量の30%近くが「メガロポリス」の6つの主要港を経由している。

「メガロポリス」の位置

 米国の中でもこの特定の地域がこうした発展を遂げたのはなぜなのか。こう質問されたら、通常、地理学者が最初に考えるのはその位置である。実際「メガロポリス」の場合には、この広大な都市地域の位置と立地条件がその起源と成長の謎を解く鍵になる。
 この地域の輪郭線を見ると、立地上様々な特徴があることが見て取れる。「メガロポリス」は海岸線に沿って位置しているため、その東端は複雑に入り組んでいる。多数の半島が大西洋に突き出している。島々が海岸に沿って散在しており、そのうちいくつかは、形成された地域社会を支えられるほど大きい。陸地が生みに突き出しているのを、そのまま鏡に映したような形で、湾や河口が陸地に入り組んでいる。このように陸地と海が相互に入り組んでいるため、陸地と海がより接近することになる。かくして、直線的な海岸線よりも安いコストで水上交通を利用する機会がはるかに大きくなる。
 勿論、質の高い港も必要である。「メガロポリス」には、米国有数の天然港がいくつか存在する。直近の大陸氷河期に、「メガロポリス」の北半分は氷に覆われていた。その氷が解け始めると、河川の広い方水路ができ、川の浸食力によって平坦な海岸平野には深い溝が刻み込まれた。海水面が上がると、それより低い川谷は「溺れ」て河口を形成し、海岸線が内陸にいり込んだ。こうした氷河作用による川谷が、後にメガロポリスの発展に役立つこととなる港湾のいくつかを形成したのである。
 このほかにも、1,2か所の地域に限定して、氷河期は大きな痕跡を残している。氷河の拡大によって大量の土壌や石や、その他の破片がすくい上げられた。そして氷河の前線が後退するに伴い、これが氷堆石として残された。氷河の後退によって、現在のコネチカット州沿岸地方のちょうど南側に、一連の尾根が残された。海水面が上昇すると、こういった氷堆石が島になり、海からの堆積物によって面積が拡大した。しかし、島の幅が広がらなかったため、この島は「ロングアイランド」と名づけられた。それいがいに呼びようがない形だった。
 ロングアイランドは、大きく言って2つの点でニューヨーク港の質の向上に貢献してきた。第一に、港湾施設に利用できる海岸線は、ハドソン川に沿ってすでにかなり長かったが、それがさらに大きく延長される形になった。第二に、十分に発展した広大な港の周辺に都市部が拡大すると、より広いスペースが必要になる。潮汐湿地と浸食に耐えたパリセーズ峡谷の尾根のせいで、ニューヨーク都市部の拡大に適応できる良質の土地は、ハドソン川から西のニュージャージー州に限定された。ハドソン川の東岸には長細い土地しかなく、これがマンハッタン島である。しかし、イーストリバーの向こうには、ロングアイランドがある。ここはニュージャージーの湿地帯のような障害物がなく、平坦でわずかに起伏のある土地である。ロングアイランドの西端にあるニューヨーク市のブルックリン区とクイーンズ区は、早くから発展した。そしてロングアイランドは、都市部が東に大きく広がる余地を提供したのである。
 「メガロポリス」には良質の港が多数あるが、それ以外の立地上の特色としてこの地域の都市経済の発展に大きく貢献したものはほとんどない。夏季は概して農業に十分なほど期間は長く、雨量も多いが、さほど気候が温暖というわけではない。土壌はむらがあり、メリーランド州ボルティモアやペンシルベニア州フィラデルフィアよりも内陸部の土壌の方が、ニューヨークに近い土地のほとんどの土壌よりも上質である。
 「メガロポリス」のニューヨークから南の一般的な地形は、都市部の発展にとって有利な立地条件を追加提供する形になっている。大西洋沿岸から内陸に向かって行くと、まず非常に平坦な海岸平野があり、そのあとに起伏のある、時に小高い地形である「ピードモント台地」(Piedmont Plateau)が現れる。不規則に起伏するピードモント台地の下には、非常に古くて固い岩がある。ここの地表は浸食に強いため、ピードモント台地の標高は海岸平野よりも高く維持されている。従って、川がピードモント台地から流れ出る地点の至るところで、地形学的な境界線沿いに、一連の急流や滝が形成されている。この境界線は瀑布線(fall line)とも呼ばれている。
 初期の入植者たちは、この瀑布線が航行の邪魔になるが、これが水力源であることも間違いないと思った。入植地は、できるだけ内陸に入ってはいるが、依然として海上輸送にも手近な、瀑布線沿いに発展した。さらに、瀑布線が航海の起点となることがしばしばあったため、内陸に運んだり輸出したりする商品は、瀑布線のいずれかの場所で荷降ろしして、別の輸送手段に移さなければならなかった。これらの場所は、商品を輸出するために内陸部から河川航行の起点へ運ばれる輸出商品によってもまた利益を得ていた。多くの場合、ここで製造業も営まれていた。
 北米の中でもこの地域は、ヨーロッパとカリブ海植民地や南米の生産性の高い農場を直接結ぶ海路上に、またはその近くに位置していた。少なくともヨーロッパへの復路は、必ずここを経由した。従って、後に周辺で「メガロポリス」として発展した港は、停泊地として便利だったため、18世紀から19世紀にかけて急速に拡大した大西洋横断貿易に、大きく貢献した。

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