ルドルフ・シュタイナー
出典: Jinkawiki
シュタイナーは20代でゲーテ研究者として世間の注目を浴びた。1900年代からは神秘的な結社「神智学協会」に所属し、ドイツ支部を任され、一転して物質世界を超えた“超感覚的”(霊的)世界に関する深遠な事柄を語るようになった。 「神智学協会」幹部との方向性の違いにより1912年に同会を脱退し、自ら「アントロポゾフィー協会」(「人智学協会」)を設立した。「アントロポゾフィー」(人智学)という独自の世界観に基づいてヨーロッパ各地で行った講義は生涯6千回にも及び、多くの人々に影響を与えた。また教育、芸術、医学、農業、建築など、多方面に渡って語った内容は、弟子や賛同者たちにより様々に展開され、実践された。中でも教育の分野において、ヴァルドルフ教育学およびヴァルドルフ学校(シュタイナー学校)が特に世界で展開され、日本でも、世界のヴァルドルフ学校の教員養成で学んだ者を中心にして、彼の教育思想を広める活動を行っている。
教育観
学校教育 シュタイナーの人間観に基づき、独自の教育を行う「自由ヴァルドルフ学校」は、1919年にシュトゥットガルトの煙草工場に付属する社営学校として開校された。この工場に働く労働者の子弟が生徒であったため、初等・中等教育および職業教育を行う統合学校の形態をとった。このタイプの学校がドイツ内外で次々に設立された。現在ドイツのそれらは自由ヴァルドルフ連盟に属している。ヨーロッパ地区では「ヴァルドルフ学校」または「ルドルフ・シュタイナー学校」と総称され、600校(うちドイツに200校)ほどが各国連盟ごとに存在している。
幼児教育 1920年6月の、さきの学校での教員会議で「本当は、幼稚園の頃から子どもを預かることができるとよい。子どもたちを受け持つ時間が長ければ長いほどよい。就学以前の子どもたちを受け入れることができるはずである。(中略)幼い子どもたちの教育の方が重要なのだ。」と発言するなど、幼児教育の重要性を説き、彼の指導のもと、E.M.グルネリウスによってシュタイナー幼稚園を設立する意向であった。しかし、シュタイナーが生きている間には叶わず、亡くなった翌年の1926年にグルネリウスらによって、シュタイナー教育の理念に基づく幼稚園が始まった。
治療教育 障害を持つ子供達を受け持っていた学生たちがシュタイナーから受けた助言をもとに、ドイツのイエナ近郊に治療教育施設「ラウエンシュタイン治療教育院」を作った。ちょうど同じころスイス・アーレスハイムの臨床治療院では、心身に何らかの障害を持つ子どもたちが入院し、その入院施設が後に発展して、1924年に治療教育施設「ゾンネンホーフ」が成立した。シュタイナーは治療のために薬以外にも、音楽、絵画、彫塑、オイリュトミーなどの芸術や宗教による特別の教育を示した。イギリスにおいては治療教育は、シュタイナー教育の代名詞と言われるほど評価が高い。
その他 シュタイナーは人間が7年ごとに体を完成させていき、63歳で成長の頂点を迎えるとして七年周期による教育という考えをもっていた。 7歳までを肉体、14歳までをエーテル体、21歳までをアストラル体の完成とし、それ以降は自我が独立して発達するとし、それ以前の期間を教育が必要な時期とした。 また、シュタイナーは四体液説の粘液の分類を取り入れており、自我が優勢な胆汁質、アストラル体が優勢な多血質、エーテル体が優勢な粘液質、肉体が優勢な憂鬱質があり、それぞれの気質の中心によって、子供を分類して対応を変えている。この気質は誰もが四つ持っているが、優勢なものが一つあるが、個人における四気質を調和へと導くことが教育の課題であるとしている。
シュタイナーに対する批判
主な批判としては、大学の学識経験者たちが認めない、「人智学の科学性」の宣言、教会関係者が非難する「キリスト論のグノーシス主義的な諸前提」、並びに「人種差別的」とみなされたシュタイナーの民族論である。ただし、シュタイナーは本当のオカルティズム(神秘学、霊学)の実現のためには、「自分の属している民族という殻から脱しなければならない。」、「一つの民族だけに役立つような霊性を持ってはならない。」と述べている。 また、シュタイナーの人智学は高次の認識から得たものではなく、同時代の他の神秘主義者や教育学者たちから思想を盗んで作られた、寄せ集めのオカルト思想であるとする学術研究書が近年ドイツでは出版されている。 2007年9月 ドイツ連邦共和国家庭省は、ルドルフ・シュタイナーの著作二書を「人種差別的」として青少年有害図書に指定するよう、同国図書審査局に要請した。審査局はこれに対し、シュタイナー出版社が「解説」を付した新版で置き換えると約束したことを受け入れ、有害図書リスト入りを見送った。出版社側は該当巻を出荷停止にした。ちなみに、シュタイナーはユダヤ人、中国人、日本人、アボリジニ、アメリカ・インディアンを、これ以上発展する見込みのない退廃人種と決めつけ、これに対し、「歴史的事実である」アトランティス大陸からの系譜をひくアーリア人種が世界を指導し、黒人やアジア人を教育すべきとした。 シュタイナーの370巻にものぼる著作集の中には、黒人やアジア人を蔑視し、からかうような記述が数多くあり、[要出典]確信的な人種差別思想であるとする批判が近年欧州各国の政府機関やマスメディアから頻繁に出されている。
日本への紹介
日本においては第一次世界大戦以前に、右翼思想家の大川周明がシュタイナーの社会三層化論を翻訳した『三重国家論』を出版して紹介した。1920年代には、シュタイナーの設計した「ゲーテアヌム」を現地で見て感激した早稲田大学の今井兼次教授によって、日本の建築関係者達の間で知られるようになった。 1970年代頃から、娘の教育のため、家族でドイツに留学した早稲田大学教授の子安美知子が『ミュンヘンの小学生 : 娘が学んだシュタイナー学校 』(中公新書 1975年)を初めとした一連の教育体験報告が反響を呼び、新しい教育方法としてシュタイナーの思想が注目された。 1980年代になって、哲学関係の出版社「イザラ書房」がシュタイナーの翻訳出版を始める。 1996年には、NHKのNHK衛星第2テレビジョンの「素晴らしき地球の旅」という番組でシュタイナー教育が紹介された。 また、イタ・ヴェークマン医師とシュタイナーが共同で創始したシュタイナー医学に関しては、2004年春から、日本でも「ゲーテアーヌム精神自由大学」の主催で医師向けの専門的な訓練が日本国内でも開始されている現状があり、2005年5月5日には「日本アントロポゾフィー医学のための医師会」というものが設立されている。 2000年4月14日から8月27日には東京のワタリウム美術館で、2001年3月3日(土)~4月5日(木) にはKPOキリンプラザ大阪で, シュタイナーが書き留めたノートを展示する「ルドルフ・シュタイナー 100冊のノート展」が開催された。