出典: Jinkawiki

2009年1月29日 (木) 15:33 の版; 最新版を表示
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大阪府堺市の大阪湾に面する地域に、かつて外国人宣教師から「大いなる特権と自由を有し、共和国のごとき政治を行っている」とたたえられた「堺」という都市があった。  

堺は古代、中国や朝鮮の使節ん発着地だったといわれ、その後は漁港として発展してきたが、室町時代に勘合貿易が開始されると、貿易港として栄える。 やがて、他の都市を圧倒して勘合貿易の独占権を得、堺商人たちはみずから明・朝鮮・琉球・安南・ルソンなど海外に乗り出して大いに交易し、16世紀にはスペインやポルトガルと南蛮貿易を行った。こうして堺には富と人が集中し、空前の繁栄を見ることになる。境の商人たちは、このような威勢と財力を背景に、この港町の周囲に深い堀をほり、頑強な木戸をもうけ、浪人者多数を傭兵として雇い入れ、自治を行い始めました。


町の行政・司法は、会合衆と呼ばれる36人の豪商によって協議運営され、守護大名の介入を排除した治外法権的な都市を完成させた。したがって境に武装して入場することは許されず、一歩町のなかに入れば敵味方の区別も消失したという。このように治安が安定していたので、多くの芸術家が境を訪れ、茶の湯・花道・和歌・連歌・小唄などの文化が花開き、まるで都のごときの華やかさだったと伝えられている。


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