幸福追求権
出典: Jinkawiki
「幸福」は自らの手で実現するもの
憲法13条はその前段で「すべて国民は、個人として尊重される」と規定している。個人こそがすべての価値の根源であるという個人主義原理を表明している。そして、後段で「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」として、いわゆる「幸福追求権」の保障を宣言している。近代憲法に共通する自然権思想のあられである。 また、13条は「幸福」そのものを保障しているわけではない。個人主義の下、何を幸福するかというのは人それぞれである。そして、幸福は各人からの自らの手によってつかみ取るものである。「幸福追求権」の保障とは、個人がその幸福をつかみ取る過程で国家が邪魔をしてはならないということである。
幸福追求権の法的性質
「幸福追求権」は、国政の基本の宣言にとどまることなく、個人に具体的な権利を保障したものであるとするのが通説である。もっともその内容についてはさらに争いがある。 この点、個人の自由は広く保障されるべきであることから、散歩の自由や髪形の自由など人の生活全般にわたる一般自由権ということになる説がある。この説に対しては、どれもが人権になってしまい、かえって人権の価値を希薄化させてしまうことにもなってしまうのではないかという批判もおきた。そこで通説の見解は、幸福追求権を人格的存在に不可欠な権利、自由を包摂する包括的な権利とされている。これを人格的利益説という。 「人格的生存に不可決な権利、自由」とは、人が一人の人間として生き、個性をもった個人として成長を遂げていくために必要不可欠な重要な権利、権益という意味である。また「包括的権利」とは、そうした人が個人として生きるために必要なすべての権利、権益を包み込んでいる権利というような意味である。 この考えによれば、言いたいことを自由に言う権利や就きたい職業に就く自由も、個人として人間らしく生きていくための権利であるから、幸福追求権に含まれることになる。
新しい人権
言いたいことを自由にいう権利や就きたい職業に就く自由は、個別に規定されている表現の自由(21条)、職業選択の自由(22条)で保障されているからあえて幸福追求権を持ち出す必要はない。 そこで「幸福追求権」は個人の人権規定の及ばない範囲を補充的にカバーするときに意味を持つとされている。すなわち「幸福追求権」は、憲法の人権カタログにない名誉権やプライバシー権などの新しい人権の保障として根拠になることが重要な意味である。 大きく変化した現代社会で、人が個人としのびのびと生きていくためには、従来意識されていなかった新しいタイプの人権を認める必要性が生じ、また、個別の人権規定も憲法制定当時特に重要であると考えられてものを例示したものであり、それ以外の人権を否定する趣旨でないと考えられている。現在は、判例や実務において13条を根拠に「新しい人権」が保障されている。