橋のない川
出典: Jinkawiki
概要
『橋のない川』(はしのないかわ)は、住井すゑが著作した小説。1部から7部まで掲載・刊行され、第8部は表題のみを残し作者が死去している。明治時代後期の奈良県のある被差別部落(小森部落)が舞台となっている。 ほとんど全編を通じて部落差別の理不尽さ並びに陰湿さが書かれている。最終的には京都市・岡崎で行われた水平社宣言をもって締めとしている。 1部から7部までの累計発行部数は800万部を超える。1969~70年と1992年の二度にわたって映画化された。
あらすじ
1908年(明治41年)、奈良の山村・小森。誠太郎と孝二の幼い兄弟は、父を戦争で失ったが、しっかり者の祖母ぬいと心やさしい母ふでに大切に育てられる。だが兄弟は学校や路上で、ことごとにいじめられる。小森は被差別部落なのだ。 5年生の孝二は、想いを寄せていた地主の娘まちえに手を握られ胸を熱くする。しかし従姉妹の七重はまちえが手を握った理由を知っていた。孝二を想う七重。だが孝二のまちえへの想いは消えず、七重の恋は実らない。母ふでの秘めた恋も、花咲くことなく時が流れる。 1918年、大阪の米屋で働く誠太郎は米騒動のさなかにいた。同じ頃、小森に帰った秀昭は仲間と『水平社』を組織する。深い人間愛を訴える『水平社宣言』の草稿を胸に抱いて、祖母ぬいは静かに泣く。しかし、その同じ年の夏……。 「明治・大正」の奈良の農村を舞台に、真の人間の豊かさとは何かを現代に問う、情感あふれる人間解放のドラマである。
映画版
本作には大きく分けて二つの映画版が存在する。1969年~1970年に今井正が監督を務めた映画(「第一部」「第二部」の2本)と、1992年に東陽一が監督を務め、ガレリア・西友共同で製作された映画である。 前者は、社会主義リアリズムの巨匠であった今井が自ら映画化を企画し、大手制作会社に断られるなどの苦労の末に完成にこぎつけた。第一部は海外で映画賞を受賞するなど高い評価を受けたが、部落民の描写などについて、当時の部落解放同盟幹部(朝田善之助ら)からクレームが出た。そして、続編として製作された第二部でもそのような批判が出ているさなか、第二部を見た部落出身の女子学生が自殺するという事件が起こり、部落解放同盟側はこの映画を「差別助長映画」として徹底した上映阻止キャンペーン(過激派学生による上映会場襲撃など)を展開することになる。この結果、本作は上映される機会が減り、ソフト化もされないという状況が長く続いた。その後、2004年には第一部・第二部ともにDVD化されており、現在では見ることは容易になっている。また、上記のキャンペーンは当時の部落解放同盟による日本共産党批判(今井は共産党員でもあった)の具にされたという見方も今日では強い。原作者である住井は、原作との違いなどを理由に批判する立場ではあったが、観るべき作品という一定の評価は与えており、観ずに「差別映画」と騒ぐ人間には映画以上に批判的であった。一方、東陽一監督版は、部落解放同盟が映画化を企図して東を監督に起用したものである(出典:灘本昌久「映画『橋のない川』上映阻止闘争は正しかったか」)。音楽にボリビアのチャランゴ奏者エルネスト・カブールを起用したことでフォルクローレファンには有名である。