売春
出典: Jinkawiki
報酬を得て不特定の相手と性関係をもち、性サービスを提供すること。売淫、売笑、売色などとも称される。金品ではなく好意や愛顧を得ることを目的とするもの、また金品が対価とされても特定個人を相手にするものは、通常売春とはみなされない。ここにいう性的行為とは性交そのものを指し、類似の行為とは区別されることが多い。なお、金品の授受に主眼を置いた、常習でなく1回だけの行為でも売春が成立すると解されることもある。ただし上の定義は、あくまで近・現代において用いられるべきものにすぎず、時代により文化により何を売春とみなすかは多様で、一義的な規定は困難である。近代以前に関しては必ずしも冒頭の定義が適用されえない場合があることに留意する必要がある。具体的な売春の形態は、歴史とともに大きく変化している。
売春を行う者の多くは女性であり、売春婦、売笑婦、娼婦などさまざまな呼称があるが、男性の売春(男娼)も当然存在する。
売春の歴史
売春は、俗に最古の職業と称されたりするが、その起源は明確ではない。
売春の最も古い形態は、寺院売春(temple prostitution)である。古代インドではバヤデーレ(舞姫)が礼拝者に身を任せたが、これは、上流階級の幼女が寺院に仕えて舞姫に育てられるデワダーシスと、下層の娘が職業舞姫にされるナーチュニとに分かれ、後者が売春を行った。古代エジプト、フェニキア、アッシリア、ペルシアなどにも同様な風習があった。
日本においては、、古代には神社の巫女の売春、門前町の売春など、寺院売春が行われていた。また、『万葉集』にみられる遊行婦女(うかれめ)や、室津・神崎(兵庫県)など船着き場の遊君など、旅行者を相手にした売春もあった。鎌倉時代には公娼制度が確立したといわれる。封建社会の確立に伴い、京都の島原、江戸の吉原などに遊郭が形成され、私娼は禁止されたが、夜発(やはつ)、夜鷹(よたか)、辻君(つじぎみ)なども増加した。また、町芸者、湯女(ゆな)などの売春も行われた。街道筋の地方小都市では旅籠屋(はたごや)の飯盛り女の売春が黙認されていた。明治維新の後、1872年(明治5年)娼妓(しょうぎ)解放令が出され、性奴隷が解放されるかにみえたが、実際は遊郭を少し改良して貸座敷営業に変形したにすぎなかった。遊郭では、前借、年季奉公により拘束された売春が公然と行われた。また、芸妓の売春が一般化し、カフェーの女給や料理屋の雇仲居(やとな)にも売春が広がった。第二次世界大戦中には、従軍慰安婦が組織され、戦後には占領軍将兵の慰安施設がつくられた。
引用文献
下中直人(編) 2007 世界大百科事典22 平凡社 p333~334
新村出(編) 2008 広辞苑第六版 株式会社岩波書店 p2219
渡邊靜夫(編著) 1994 日本大百科全書18 小学館 p519~520