ロック

出典: Jinkawiki

2009年8月2日 (日) 20:36 の版; 最新版を表示
←前の版 | 次の版→

ジョン・ロック

 ジョン・ロック(John Locke, 1632年8月29日 - 1704年10月28日)はイギリスの哲学者、社会契約論者、ピューリタン信仰者。彼の著作の大部分は1687年から1693年の間に刊行されている。アメリカ独立宣言、フランス人権宣言に大きな影響を与えた。1632年8月29日に生まれ、父はピューリタン革命期の議会軍の騎兵隊長であった。1646年にウェストミンスター校、1652年にオックスフォード大学入学。1660年にオックスフォード大学のギリシア語講師となる。1666年からシャフツベリ伯爵の愛顧を受け、利子率論争で自由放任を主張したり、王権に対する政治・信教の自由を論じたりしたが、1683年に彼が失脚すると、ともにオランダに亡命する。1688年の名誉革命後、帰国。


自然法

 ロックは自然法論者であった。自然法(しぜんほう、英: Natural law、独: Naturrecht、羅: lex naturae, lex naturalis)とは、事物の自然本性(英: nature、独: Natur、羅: natura)から導き出される法の総称であり、事物の自然本性から導き出される法の総称である。明治時代には、事物の性(さが)に合致する法という意味で、性法(せいほう)という訳語も用いられた。自然法は実在するという前提から出発し、それを何らかの形で実定法秩序と関連づける法理論は、自然法論と呼ばれる。自然法には、原則的に普遍性、不変性、合理性の3つの特徴が見られる。但しいずれにも例外的な理論が存在する。


社会契約論

 国家や社会の起源が、世界の創造主である神ではなく、自由で平等な自然状態に生きる自然人の契約にあることを示したのが社会契約説です。共通の権威を持たない自然人が、『自然権(自衛の為の個人の権力・暴力・制裁)』を放棄して国家(政府)にその権力を一時的に委譲することで政治権力が生成されるとロックは考えた。 ロックの社会契約説は、『統治権力(絶対王権や貴族階級)の正当性』は神の普遍的権威に基づくものであるから、絶対に抵抗してはいけないという中世的な政治認識をコペルニクス的に転換した。中世の政治は伝統主義が貴族政治(封建主義)を正当化し、王権神授説が君主政治(専制主義・絶対王政)を根拠づけ認識されていたが、ロックは伝統主義にも王権神授説にも『自然状態からの権力生成』を経験的に説明する能力がないことを喝破した。  






・wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF ・      http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95 ・ジョン・ロックの社会契約説と立憲主義 http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/vision/es001/john_locke.html


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成