アーミッシュ
出典: Jinkawiki
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アーミッシュとは
16世紀のオランダ、スイスのアナバプティスト(再洗礼派)の流れをくむプロテスタントの一派であるメノナイトから、1639年に分裂した一派。ヤコブ・アマンJacob Ammanを指導者として始まったためアーミッシュとよばれる。イエスやアマンの時代の生活を実践しようとする復古主義を特徴とする。メノナイトと同様、ルターやツウィングリの国教会制度を拒否(教会と国家の分離を主張)、国民性やイデオロギーの違いで人を殺すより、牢獄へ行った方がよいとする平和主義を貫く。映画『刑事ジョン・ブック――目撃者』(1985)で広く知られるようになった。 現代文明を拒否して電気や車を使わず、馬車を用いて、おもに農業を営む。地味な服装は信仰の表れである。アメリカ合衆国では、義務教育や兵役拒否で国家と争うが弾圧は受けなかった。権威や偶像を認めず、自然とともに暮らすアーミッシュの質素な生き方から何かを学ぼうとする現代人もいる。アーミッシュ単独の実数はつかみにくいが、メノナイト系全体では、1990年現在、北アメリカに約38万人、世界に約85万6000人といわれている。
メノナイトとは
アーミッシュをやめた人の多くはメノナイトになる。メノナイトはアーミッシュに考え方が近いキリスト教の宗派だが、アーミッシュのような厳しい戒律はない。実は、メノナイトはアーミッシュが出来る前からあり、メノ・シモンズという人物がリーダーで、彼に集まる人という意味でメノナイトといわれる。 メノナイトは年月が過ぎるうちにだんだん戒律がゆるくなり普通の生活をするようになってきたために、メノナイトの一人だったヤコブ・アマンが、これではいけないと、もともとのメノナイトのあり方に徹した厳しい戒律の新派を立ち上げた。それがアーミッシュ(アマンに集まる人達)である。アーミッシュはヤコブ・アマンの思想を受け継ぎ今日まで厳しい戒律を守り続けている。
メノナイトはもともと元祖だったのだが、今ではアーミッシュをやめた人の受け皿になっている。厳しい戒律はいやだが信仰は捨てたくないという人たちである。 メノナイトには教会があり、カローナではメノナイトもアーミッシュもいがみ合うわけでもなく仲良く暮らしています。
アーミッシュの信仰
アーミッシュの人たちがそんな変わった暮らしをしているのは、信仰に理由がある。当時の腐敗した、形式的・儀式的な宗教への批判から生まれた宗派なので、形式に気をとられるよりも、日常の生活で実践することが信仰だという考えから、教会の建物も、聖歌隊も祭壇もステンドグラスもなく、専任の牧師ももたない。教義や儀式・聖なる品々といったものにもとらわれない。多くの人が、日曜の朝だけ信仰の生活をして、一歩教会から出たら信仰と無関係の生活を送る、ということになりがちだが、アーミッシュにとっては信仰は生活の隅々までゆきわたり、それが質素な服を身にまとうこと、隣人の納屋を建てること、友人のためにパイを焼くこと、などのひとつひとつの行動に表現されている。
彼らは従順、謙虚、質素という徳を重んじるが、それは「クリスチャンはキリストの人格の模範にならうべき」という思想を持っているからである。穏やかで控えめな人柄がよいとされ、忍耐、待つこと、他人に折れて従うことが成熟した人格のしるしとされている。彼らは決して暴力に訴えることなく、訴訟を起こしたり軍隊に入隊することを拒否する。現代人が個人の権利を求め、競争に勝つこと、自己の望みを果たすこと、すなわち「個を見出すこと」に熱心なのに対し、アーミッシュは自己を棄て去り共同体のために生きようとする。
厳しい生活規則
こうした信仰をもとにして、彼らの生活の細かいルールがある。
・鏡を見ること、化粧、派手な色の服や流行の服を着たり美容院へ行ったり写真を撮ったりすることは虚栄心の現れとして禁止。
・楽器を弾いたり独唱したり、自分の名前を入れて出版したり、また自己の栄光を求めてよい説教をしようと下準備をしたりすることもしない。
・余計な知識は人間を傲慢にするものであるとして、高等教育も受けない。
何か人に誇れるようなものを持とうとする多くの現代人に対し、アーミッシュは何も誇るべきものを持つまいとする。そして朝早く起きて勤勉に働き、自分のためでなく周囲の人々に役立つようにおのが務めを静かに果たす生活を続ける。
アーミッシュの服装
男性の服装
紫がかったブルーのシャツに、黒っぽいズボン、ズボンつりを着けている。黒や濃紺の細いリボンの付いた淵のある帽子を、普段は被っているようだが、農作業をする時はそれが麦わら帽子になる。
女性の服装
ブルー系の丈の長いワンピースを着て、長い髪はきっちり前で分けて、お団子にまとめ、白っぽいオーガンジーの帽子を被っている。
繁栄するアーミッシュ
このような厳しいきまりにも関わらず、アーミッシュの共同体は栄えている。彼らは積極的に外部の人に伝道したり改宗させたりはしないが、現代的な医療を受けずバースコントロールも禁止されているので、一家庭平均8~10人の子供を産み育てる。死産なども含め6.6人の子供がいるが、80%が同じ共同体にとどまるという。それは小さな教区の中でお互いが同じ信仰をもって家族のように結びつき、助け合って暮らしているからで、社会の隙間に落ちて誰にも知られずに孤独を深めてゆくといった現代人の孤独とは無縁だからである。彼らには犯罪も家庭内暴力も援助交際も親子の断絶も存在しない。個人の自由を捨てる代わりに、暖かい雰囲気の安心できる居場所と確固たる民族的アイデンティティーを得ている。