就学義務
出典: Jinkawiki
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*学校教育法[就学義務]第22条より
保護者は、子の満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満12歳に達した日の属する学年の終わりまで、これを小学校又は特別支援学校の小学部に就学させる義務を負う。ただし、子が、満12歳に達した日の属する学年の終わりまでに小学校又は特別支援学校の小学部の課程を修了しないときは、満15歳に達した日の属する学年の終わり(それまでの間において当該課程を修了したときは、その修了した日の属する学年の終わり)までとする。《追加》平19法096
2 保護者は、子が小学校又は特別支援学校の小学部の課程を修了した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満15歳に達した日の属する学年の終わりまで、これを中学校、中等教育学校の前期課程又は特別支援学校の中学部に就学させる義務を負う。《追加》平19法096
3 前2項の義務の履行の督促その他これらの義務の履行に関し必要な事項は、政令で定める。
*教育の義務か就学の義務か
家庭教育や社会教育なども義務教育の実際の教育活動として認可されるかどうかについては、国によってさまざまである。教育義務型の義務教育制度では、ホームスクーリングによる教育も社会的に受容されている。就学義務型の義務教育制度では、学校教育によってのみ義務教育が行なわれる。
日本では、全日制学校への就学を要件としており、家庭教育のみでは就学義務を履行したとはみなさない制度であり、就学率も高い。
*学校教育法の就学義務は上位法と矛盾
学校教育法第22条と、第39条は小中学校への就学義務を定めている。第91条は、就学督促を受けても保護者が子どもを就学させない場合の罰金を定めている。
これらの条項は、不登校児童生徒の増加により、厳格には適用されなくなっている。しかし、就学義務の存在は、社会的圧力として学校に合わない子どもたちを苦しめているし、ホームスクールをしたい人たちへの大きな制約になっている。
しかし、これらの条項は、憲法や国際条約と食い違う。学校教育法の就学条項は、保護者が子どもを学校教育法で定める小学校、中学校へ通わせていれば、憲法の「子どもに普通教育を受けさせる義務」を果たしているとする規定であって、他の教育が「普通教育」を行うことを否定するものではないと解釈する。そうでなければ、学校教育法の就学条項は憲法違反と判断せざるを得ない。
憲法26条第1項はすべての人の「教育を受ける権利」を保障している。そのためには、多様な教育が存在しなければなりません。不登校児童生徒は約14万人に及び、学校教育法の定める学校だけで、すべての人の「教育を受ける権利」を実現できないことは明らかだ。また、出席していても、実質的には教育の利益を享受していない子どもたちがたくさんいる。
憲法26条第2項は、親の教育権を定めたものと解釈できる。学校教育法の定めによる学校は、詳細まで規定され、親の教育方針を反映させることは困難である。現在の日本の教育システムには民主主義原則がなく、親の方針反映は極めて不十分である。
学校教育法には、学校で子どもに対する人権侵害が起こったときに、子どもを保護する規定がなく、このような法律下の学校への全員就学を定めることは、憲法13条【個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利】、18条【奴隷的拘束からの自由】、19条【思想・良心の自由】、25条【人間らしく生きる権利】などからの疑義がある。社会権規約第13条第1項は、「すべての人の教育への権利」を確認している。「教育への権利」は、自分が受け入れることのできる教育を受ける権利である。同第3項は、「この規約の締約国は、父母及び場合により法定保護者による、児童のため公の機関によって設置された学校以外の学校を選択する自由を尊重することを約束する」(政府訳)としている。同第4項は、個人または団体による教育機関設置の自由を確認している。なお、日本が批准する国際条約が国内法より上位にあることは確認されている。世界人権宣言第26条第3項は「親は、自分の子どもに与えられる教育の種類を選ぶ優先的権利を持つ」としている。これは、世界的に確立された基本的人権である。
以上から、学校教育法の就学義務は、在宅教育(ホームスクール)を否定するものではないと解釈しする。
*就学義務の問題点
就学義務の規定は苦しむ人たちを生み出している。憲法の「教育を受けさせる義務」にとどめるべきである。
学校教育法22条第1項(小学校)、39条第1項(中学校)は保護者が子どもを就学させることを義務づけ、第91条は、督促に従わなかった場合の罰金を規定している。これは実状にそぐわない。憲法、教育基本法にある、「教育を受けさせる義務」だけで十分である。どのような教育方法であれ、ある学校が完璧であることも、その学校にすべての子どもが合っていることもあり得ない。学校に合わない場合の救済策を用意しておかないと、とことん追い詰められる子どもができる。しかし、日本の義務教育は、教育方法を文科省方式の1種類しか用意せず、しかも子どもの人権保護規定を欠く学校に就学を強制した。これは、多数の不登校を生みだした。不登校の多くは、子どもは学校に行こうとし、親も学校に行かせようとするが、恐怖、不安などにより行けなくなっているものである。国際人権A規約第13条第3項が、公の機関によって設置される学校以外の学校を選択する自由を保障するとともに、第4項が教育機関設置の自由を定めるのは、このような事態を防ぐためである。公立学校以外の学校を選べることは基本的人権である。 不登校の増加により、実質的に就学義務と罰則規定は死文化が始まっている。「子どもが行きたがらなければ無理させない」ことは、ある程度定着してきている。しかし、それは、裁量の範囲が広がってお目こぼしにあずかっているにすぎない。教育機関設置の自由と教育選択の自由によって「与えられた教育の中で無理するしかない」状況の解決へと向かわなければならない。 就学義務不履行に伴う罰則規定は、戦前の法制にもなかった。「教育を受ける義務」は存在したが、貧困などのために、罰則を設けてまで就学を強制できなかった。また、戦前は家庭での教科履修を認める条項があった。戦後、個人尊重の理念のもとに社会が再構成されたにもかかわらず、就学については、かえって規制を強めた。 特定の学校がすべての子どもに対して有益であることを主張することは不可能であり、したがって不就学に罰則まで設けるのは無理がある。法律は「普通教育を受けさせる義務」の表現にとどめ、教育行政は親の教育選択の幅が広がるように努力すべきである。 学校教育法は、子どもが学校に合わなかったときの救済措置をいっさい配慮していない。学校に問題があったときの処理方法、学校に不満があるときの処理方法も規定していない。
《参考文献》
・http://www.houko.com/00/01/S22/026.HTM#s2
・http://www.weblio.jp/content/%E7%BE%A9%E5%8B%99%E6%95%99%E8%82%B2
・http://www.ne.jp/asahi/homeschool/renkon/houritu_shugakugimu.htm
・http://www.asahi-net.or.jp/~ru2a-frym/kyouikukaikaku_ikensho/kiseiiken_shugakugimu.htm