ミシェル・フーコー
出典: Jinkawiki
ミシェル・フーコー(1926-1984)はフランスの哲学者である。ここでは、教育学の分野を取り上げていきたいと考える。フーコーの思想史研究のなかで、教育学が最も注目してきたものは、『監視と処罰』で展開された規律化論である。ボールの『フーコーと教育』、マーシャルの『ミシェル・フーコー』など、英語圏で出版されたフーコーと教育に関する著作は、必ず規律歌論に注目し、自律性対規律化、抵抗対支配という対立図式をもとに、フーコーの思想を理解し、規律化、支配の教育を否定し、自律化、抵抗の教育を提唱している。
フーコーを踏まえて近代教育を批判することは、近代教育の営みを全否定することではない。近代教育の主な営みは、主体化であり、個人利益のためであれ、国家利益のためであれ、有用化である。つまり、自己管理能力の育成であり、問題解決能力の育成である。しかし、ある教育学者が述べているように、「[教育学者の意図に関わらず]能力開発によるより良い状態の達成という考え方は、不可避的に改革や刷新を求める人々の夢を打ち壊すだろう。この考え方が、人間は自他を気遣う存在であることを無視し、人間を自分の性能を更新するために技能知識を装着してゆくものとみなすからである」。言い換えるなら、生きることを主体的・有用的な能力に還元することは、より良い状態を能力者に取ってのよりよい状態に限定し、生の台座を看過することである。生という台座が無ければ、能力などあり得ないにもかかわらず。つまり、主体性・有用性への批判は、能力と性の関係の編み直しのために行なわれる。
略歴
1926年
フランス中西部の古い町で、多くの教会が点在するポアチエに、高名な外科医の息子として生まれる。
1946年
フランスで最も権威のある高等教育機関(大学教員・研究者を養成する大学)であるエコール・ノルマル・スペリウール(高等師範学校)に一浪して入学。
1950年
大学の教員になるためには避けて通れないアグレカシオン(哲学教授[=大学教員]資格試験)の準備をしているときに、アルチュセール(Althusser,Louis 1918-90)と知り合い、彼の思想に共鳴し、共産党に入党するが、しばらくして脱党。その年、アグレカシオンの筆記試験に合格するが、口述試験に失敗して一浪、翌年に合格する。24歳。
1953年
リール大学の心理学助手に就任。27歳。
1954年
最初の著作である『精神疾患と人格』(のちに『精神疾患と心理学』に改題)を出版。
1960年
クレルモン・フェラン大学の心理学講師に就任。34歳。
1961年
ヘーゲル研究者のイポリット(Hyppolite,Jean 1907-68)、科学思想史研究者のカンギレム(Canguilhem,Georges 1904-95)を指導教授として『古典主義時代における狂気の歴史』を書き、文学博士号(国家博士)を取得。35歳。同博士論文は、どういうわけか、有名な学術出版社であるガリマール社から出版を拒否される。しかし、たまたまアリエス(Aries,Philippe)がその原稿を読み、彼の推薦によってプロン社から出版されることになる。
1963年
『レーモン・ルーセル』、『臨床医学の誕生』を出版。37歳。
1966年
『言葉と物』を出版。「プチパンのように売れた」といわれている。40歳。
1968年
パリ第一〇大学(ナンテール校)の心理学教授に就任するが、なぜか二週間でそこを辞職し、すぐにパリ第八大学(ヴァンセンヌ校)の哲学正教授に就任。42歳。
1969年
思想史研究・哲学的歴史の方法論である『知の考古学』を出版。43歳。
1970年
コレージュ・ド・フランスの「思考システムの歴史」講座の教授に就任。44歳。その教授就任講演は、1971年に『言語の秩序』(邦題『言語表現の秩序』)として出版され、「言説」を特異な用語として確立していく契機となる。
1973年
『これはパイプではない』を出版。47歳。
1975年
『監視と処罰』(邦題『監獄の誕生』)を出版。49歳。
1976年
『性愛の歴史Ⅰ------知への意志』(邦訳『性の歴史Ⅰ』)を出版。50歳。この頃から毎年秋にアメリカ西海岸の大学(とくにカリフォルニア大学バークレー校)を訪れ、英語で講義を行なう。
1984年
『性愛の歴史Ⅱ------歓喜の活用』(『性の歴史Ⅱ』)、『性愛の歴史Ⅲ------自己への配慮』(『性の歴史Ⅲ』)を出版。同年の6月25日、10月に出版しようと考えていた『性愛の歴史Ⅳ------肉慾の告白』を校正している途中でパリの病院で死亡。58歳。
1994年
没後10年を記念して、『フーコー------語ったことと書いたもの 一九五四~一九八八年』(Dits et ecrits, 1954-1988 邦題『フーコー思考集成』)が、全四巻で出版される。
1997年
『コレージュ・ド・フランスの講義』(Cours au College de France 邦題『フーコー講義集成』)が、全十三巻の予定で刊行され始める。
教育思想のフーコー
フーコーは、教育学の世界では、規律化を論難するばかりで、何の代替案を示さなかった、と評価されることもあるが、それは適切なとらえ方ではない。規律化論は、フーコーの思想の一部にすぎないからである。彼の思想の本態は、自由、自己との関係、他者との関係-------この三つの関係を明らかにすることである。フーコーにとって、真に自由であることは、そうであるだけで、他者と心情的な関係を結び、自己創出を呼び起こす自己との倫理的な関係を創りだすことである。一言でいえば、倫理的に自由な生によりそう思考をつづけること、それがフーコーの思想の本態である。そして、教育思想として語られるべきことも、自己利益を増やすための教育の方法ではなく、倫理的に生によりそう教育である。
時代状況を考えてみるなら、1990年代後半から、教育は、ヨーロッパで、大きな注目を集めるようになった。日本では、教育は個人の問題を解決する方策として位置づけられがちであり、競争指向、損得勘定、リスク管理にもとづく教育方法論に傾きがちであるが、ヨーロッパでは、教育は社会問題の解決策として位置づけられ、そのための方法・内容に大きな関心が集まっている。交通事故、環境破壊、成果主義、市民性欠如、少年犯罪などの社会問題を、教育によって解決しようというのである。こうした動勢は、現在、ドイツ語で「ペダゴギジールンク」(Paedagogisierung)、英語で「エデュケーショナライゼーション」(educationalization)と呼ばれている。
こうした「教育化」の営みは、教育学・心理学・社会学・脳科学などの最新の知見を活用し、いささか過剰な感情操作を伴う場合もあるが、その中心は、アメリカの「進歩主義教育思想」(社会的再構築論)やヨーロッパの「改革教育学」につらなる変革志向の思考である。すなわち、基本的に子どもたちを自律的個人に形成し、様々な社会問題に主体的に取り組ませることであり、そうすることで、子どもたち自身を既存の社会環境の脅威から護り、また未来世界をよりよいものへと変えようとする、真摯な営みである。こうした「教育化」の営みは「教育のエンフォースメント」と呼べるだろう。
ともあれ、こうした「教育化」が留意すべきことは、個人問題の解決策であれ、社会問題の解決策であれ、方法中心の教育論は、肝心の教育の根幹を看過しがちであるということである。教育の根幹は、人がよりよく生きられるように支援することである。フーコーが今もなお、私たちにとって刺激的であるのは、彼の議論が、単に問題解決に寄与する思考ではなく、人がよりよく生きることに寄り添う思考だからである。もちろん、人々を悩ます問題は解決されるべきであるが、その解決法は、どのように生きるのかによって、かなり変わってくるはずである。「このように生きるべきである」と命じるのではなく、「生きるとはどういうことか」と問い続けるとき、そこに歓喜としての教育の作法が浮かび上がり、人を真に自由にする関係性が描き出されることだろう。それは、社会を変える力であり、唯一の回答は無いが、自己への、他者への、そして世界への真摯な応答である。
参考文献
ミシェル・フーコー著 慎改康之訳 『ミシェル・フーコー講義集成4 精神医学の権力』 筑摩書房 2006年
田中智志著 『教育思想のフーコー 教育を支える関係性』 勁草書房 2009年