貴族院
出典: Jinkawiki
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大日本帝国憲法(明治憲法)のもとで、衆議院とともに帝国議会の一院を構成した立法機関。二院制の議会制度をとる世界の国々のなかには、イギリスにみられるように国民中から公選された議員からなる下院(衆議院)とともに、貴族をはじめ特権階級の代表を中心とした上院(貴族院)が存在する場合が多い。帝国議会は、第1次山県内閣における第1回通常会(明治23年)から、第1次吉田内閣における第92回通常会(昭和21年)まで開かれ、貴族院議員の総数は当初の250名から約400名程度であった。貴族院は天皇の諮問に応え、華族の特権に関する条規、議員の資格・選挙に関する訴訟について議決する権限を持った。また、立法や予算といった他に、戦前特有のものとして緊急勅令の承認があった。昭和22年日本国憲法の公布により廃止された。
構成
衆議院は選挙によって選ばれた議員によって構成され、貴族院は皇族議員、華族議員、勅任議員で構成されていた。
皇族議員 成年(皇太子・皇太孫は満18歳。その他の皇族は満20歳)に達した皇族男子は自動的に議員となった。終身議員で定員はなく、歳費もなかったが、皇族が政争に関与すべきではないとの見方から、帝国議会の歴史上、一度も議員として出席したことはない。
華族議員 華族から選出される議員。華族議員は、公爵議員、侯爵議員、伯爵議員、子爵議員、男爵議員で構成される。
公爵・侯爵議員は、満25歳になると自動的に終身の議員となる(貴族院令3条)。大正14年勅令第174号で、当初25歳だった年齢を満30歳に引き上げるとともに、勅許を得て議員辞職ができるようになった。これは批判の多かった貴族院をより強固にし、「慎重・熟練・耐久の気風を代表する分子を網羅する」ためとされた。なお、皇族議員同様、歳費も定数もなく、現役の陸海軍の軍人の場合には出席しなかった。
伯爵・子爵・男爵議員は、満30歳に達したとき、同じ爵位を有する者のうちで互選により、7年の任期で貴族院議員となる(貴族院令3条および4条)。公爵・侯爵議員と同じく大正14年に30歳に引き上げられた。定数は当初、各爵位を有する者の総数の5分の1を超えない範囲とされた。その後の有爵者の増加に対応して、明治38年勅令第58号により、三爵あわせた議員数の上限を143と制限し、各爵位を有する者の総数に比例して配分することとなった。そして明治42年勅令第92号で、各爵ごとに上限を決めることとし、伯爵17名・子爵70名・男爵63名を上限とした。しかし大正14年、各爵の定数を1割減じ、年齢を25歳から30歳に引き上げるとともに、伯爵18名・子爵66名・男爵66名の合計150名の定数が確定した。
勅任議員 国家に勲労ある者や学識のある満30歳以上の男子の中から勅任する議員をいう(貴族院令5条)。天皇によって特別に任命された。勅任議員は、勅撰議員、帝国学士院会員議員、多額納税者議員、朝鮮・台湾勅撰議員で構成される。ほとんどが元高級官僚で、他に財界人や大学教授などから任命された。
貴族院の廃止
第二次世界大戦の敗戦後、相次いで国内の民主化が実施され、公職追放令によって420人中40%以上の貴族院議員が辞職に追い込まれて、貴族院の政治的役割は大幅に低下した。1947年3月31日、大日本帝国憲法のもとでの最後の帝国議会(第92議会)が閉会となり、ついで、同年5月3日、日本国憲法の施行とともに貴族院は廃止された。
参考文献
内藤一成著 『貴族院』 同成社 2008年
内藤一成著 『貴族院と立憲政治』 思文閣出版 2005年