トルストイ
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トルストイ
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生い立ち
1828年8月28日、ロシア中部のヤースナヤ・ポリャーナという村にトルストイ伯爵家の四男として生まれる。名前はレフと名付けられた。(レフとはロシア語でライオンという意味。) 兄が3人、妹1人の5人兄妹だった。 トルストイ家はロシアの名門貴族であったが、父ニコライの代に身代が傾き、父ニコライはより裕福な家であるヴォルコンスキー公爵家の一人娘のマリヤと結婚し、領地経営を行っていた。その二人の間に生まれてきたのがトルストイである。しかし十分に愛された記憶もないまま2歳で母マリヤが亡くなる。9歳のころ、3人の兄の教育のために家族みんなでモスクワに引っ越したが、間もなく父ニコライが他界する。身寄りのなくなった兄妹たちは父方の二人のおばにお世話になり、そのため13歳でカザンに引っ越した。
教育環境は悪くなく、家庭教師たちによって教育された。大学は一度不合格になったが何とか合格し入学できた。大学での成績は思わしくなく、結局19歳で大学を中退。遺産として譲り受けたヤースナヤ・ポリャーナで地主生活を始める。21歳の秋、邸内に農民の子供たちのための学校を開く。専制と正教と農奴制の国だった当時のロシアで、若き地主のトルストイは、農民を極度の貧困から脱却させようという理想を持って農民と向き合った。農民の貧しさは無知から来ていると考えていたトルストイは、百姓頭や管理人の声にも耳を傾けたが、農民には理解されず、受け入れてもらえなかった。
23歳のとき、1番上の兄ニコライとカフーカスへ行ったことで、その手つかずの自然に感動し、そんなカフーカスの環境で『幼年時代』の構想と執筆に力を注いだ。 24歳で砲兵下士官に採用され、軍人となる。このときの戦場での経験は彼の小説に少なからず影響を及ぼしたといえる。26歳で少尉補に昇進、33歳で農事調停官になる。
31歳には再び邸内に学校を開設し、34歳で学校は閉校するが、教育雑誌『ヤースナヤ・ポリャーナ』を刊行するなど教育に対しては文学でも実際に学校を創設することでも熱心に取り組んでいた。
その後は、82歳アスターポヴォ駅で永眠するまで沢山の文学作品を残した。代表的な作品は、次に挙げる。
文学作品
1985年 『幼年時代』完成、『現代人』誌に送付。『襲撃』
1854年 『少年時代』
1855年 『12月のセヴァストーポリ』『5月のセヴァストーポリ』『1855年8月のセヴァストーポリ』
1856年 『二人の軽騎兵』『青年時代』『地主の朝』
1857年 『ルツェルン』
1858年 『三つの死』
1859年 『家庭の幸福』
1862年 雑誌『ヤースナヤ・ポリャーナ』刊行。
1863年 『コサック』『ポリクーシカ』 『戦争と平和』着手。
1865年 『戦争と平和』の最初の部分を『1805年』として発表。
1868年 『意志と表象としての世界』
1869年 『戦争と平和』完成。
1872年 『アーズブガ』
1873年 『アンナ・カレーニナ』着手。
1875年 『アンナ・カレーニナ』連載開始。
1878年 『アンナ・カレーニナ』出版。
1879年 『教会と国家』
1880年 『懺悔』『教義神学の研究』『四福音読の統合と翻訳』
1881年 『要約福音書』『人は何で生きるか』
1882年 『さらば我ら何をなすべきか』着手。
1884年 『わが信仰のありか』
1885年 『さらば我ら何をなすべきか』完成。『イワン・イリイチの死』
1887年 『闇の力』『生命について(人生論)』
1889年 『芸術について』『クロイツェル・ソナタ』
1893年 『神の国は汝らのうちにあり』
1895年 『主人と下男』
1898年 『芸術とは何か』
1899年 『復活』
1904年 『反省せよ』『ハジ・ムラート』
1906年 『自分自身を信じること』
1908年 『沈黙はできない』
トルストイの教育観
『アーズブカ』:トルストイが農民の子どもたちに読み書きを教えるために自ら作った教科書。「アーズブカ」とはロシア語で「あいうえお」のこと。トルストイの教育事業の礎石になる。トルストイの教育観、子ども観の集大成。
『国民教育について』:月刊誌『ヤースナヤ・ポリャーナ』に発表された論文。最初は次のような問いかけで始まる。教養のない一般民衆は教育にあこがれており、教養のある階級は無知な民衆を教化したいと望んでいる。双方の欲求は一致しているのに、現実には学校は民衆から嫌悪の目をもって眺められているのはなぜか。その後、現実の教育が民衆に嫌われる理由として1つの仮説をたてる。それは、学校が民衆の欲してもいないものを無理に押し付けているからだということだ。 また学校は教育実験の場といい、学校は過去から未来に向かって開かれた場所であって、決まったことを繰り返せばいいというようなすでに完成された固定的な場所ではないという。一つひとつの経験が次の経験のための下地になるような、常に更新される場所こそ学校であるのだ。
引用文献
藤沼貴『トルストイ』第三文明社 2009/7/7
八島雅彦『トルストイ 人と思想』清水書院 1998/12/15
written by oimo