吉田兼好
出典: Jinkawiki
2010年2月11日 (木) 22:39 の版; 最新版を表示
←前の版 | 次の版→
←前の版 | 次の版→
「つれづれなるままに 日ぐらし硯に向かいて 心に移り行くよしなし事を そこはかとなく書きつくれば あやしうこそものぐるほしけれ」随筆『徒然草』序段に記され、古くから日本人に親しまれている一節である。 著作である吉田兼好は、20歳前後に貴族である堀川家の家司として仕え、その後朝廷に出仕した。彼は高い位まで昇進したが、天皇の死に際して出家したと伝わる。出家後は寺に入らず、沙弥として俗人に近い生活を送ることにした。そのため出家したとはいえ朝廷とのつながりは続いたらしく、後二条天皇の子・邦良親王にも仕えた。兼好は二条為世に和歌を師事し、頓阿・浄弁・運慶とともに二条派の四天王のひとりに数えられている。「世は定めなきこそいみじけれ」と記した兼好は、67歳頃亡くなった。
参考文献 『日本史1000人上巻』 世界文化社 『日本史研究』 山川出版社