カウラ脱走事件

出典: Jinkawiki

2010年2月12日 (金) 06:38 の版; 最新版を表示
←前の版 | 次の版→

目次

カウラ脱走事件

第2次世界大戦時に、カウラ(オーストラリア)の日本人収容所で起こった脱走事件


内容

第2次世界大戦時、日本とオーストラリアは敵対国であり、カウラの収容所では1100人を超える日本兵や日本人移住者が収容されていた。

1994年8月5日、日本人378人がこのカウラの収容所から供給された武器にもならないフォークやナイフを持って集団脱走を図った。

その結果、9日後には334人が捕まり、231人の日本人と4人のオーストラリア人が亡くなった。

脱走した者のうち、カウラから24キロも逃げた人もおり、脱走途中で亡くなる人もいた。

また、当時の日本は「相手に捕まるくらいなら、死んでも戦え」という考えがあり、自殺する者もいた。


今のカウラ

現在、収容所のあった場所は牧場になり、近くに日本人戦没慰霊園が作られた。

そこには、本格的な日本庭園や日本文化を紹介する施設、5㎞にも及ぶ日本桜の並木道(SAKURA Avenue)がある。

これらはカウラで起こった出来事を忘れず、逆に友好の証として両国の協力で作られたもので、南半球で桜の咲く9月からは、

オーストラリア人と日本人がイベントを通して交流をしている。

また、この墓地に眠る見ず知らずの日本人のためにオーストラリアの青年たちが手入れをしてくれている。



参考文献

「ちょっといい話」佐藤光浩著


「日本人捕虜収容所」    http://konotabi.com/

「Wonderful Australia」  http://web3.incl.ne.jp


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成