クルプスカヤ
出典: Jinkawiki
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クルプスカヤ
生い立ち
本名:ナジェジダ・コンスタンチーノヴナ・クループスカヤ(1869~1939)
教育界だけでなく、レーニンの妻としても有名。クルプスカヤは、1869年2月14日ペテルブルグに生まれる。革命的な雰囲気の家庭に育ち、ギムナジア卒業後まもなくマルクス主義のサークルに入る。1891~1896年の間、成人労働者のための日曜夜間学校で働いていた。1895年レーニンの組織した労働者階級解放闘争同盟に参加し、彼と一生をともにすることとなる。(1899年レーニンと結婚。) 1896年には逮捕され、1900年ウファーへ流刑される。外国で非合法な活動をし、1905年に一時帰国したがまた亡命する。しかし、1917年にはレーニンとロシアへ帰り、ロシア社会民主主義労働党6回大会代議員や教育人民委員部参与会員、教育人民委員部学校外教育(成人教育)部長などを歴任。(ちなみに教育人民委員はルナチャルスキー。) 1939年2月27日に他界するまで、生涯を通して子どもの教育に力を注いだ。著書を通して学校制度を批判し、集団主義を重要視する考えを述べていた。多くの論文、パンフレット、各種集会、講演などを通して、教育や子どもの発達に関する問題を取り上げ、批判し、助言し、指導した。
クルプスカヤの著書
有名なのは『国民教育と民主主義』(1915年)だろう。他にも『生徒の自殺と自由労働学校』(1911年)『婦人労働者』(1899年)『新しい学校への道』編集(1918年)などの著書がある。
『生徒の自殺と自由労働学校』:子どもたちを自殺に追いやる重苦しいロシアの現実と、その現実に拍車をかける学校のあり方を痛烈に批判。①子どもの精神的・道徳的欲求にこたえること、②子どもをまるごとつかむこと、③子どもたちの社会的本能を発達させ、環境の理解を発達させること、④いつも人々の役に立つものになろうという意欲と能力を発達させることを要求した。
『国民教育と民主主義』:教育史について最初のマルクス主義的な研究。労働教育、総合教育技術教育の思想を、それぞれの社会発展の段階と社会階級の要求との関連で分析。詰め込み教育から労働学校へ発展させるべきだと主張した。
→クルプスカヤの主な考えは、①生産労働、社会的有用労働を広く展開すること、②学校の全課業を労働・集団労働と結びつけること、③学校を実生活(労働者階級の実生活)と結びつけること、④広く労働者階級の影響力を学校に取り入れること、など。 集団主義の面からは、子どもたちの社会的本能を発達させ、集団主義者として育てるためには、子どもが小さいときから他の子どもと一緒に生活したり、遊んだり仕事したり、喜びや悲しみを分け合う体験が大切だと説いた。
参考図書
海老原遥『クループスカヤ「国民教育と民主主義」入門』明治図書 1989.2
クループスカヤ著 勝田昌二訳『世界教育学選集5 国民教育論』明治図書 1963.1.3
梅根 悟監修 世界教育史研究会編『世界教育史大系16 ロシア・ソビエト教育史Ⅱ』講談社 1978年4月2日 第2刷
written by oimo