若狭蔵之助

出典: Jinkawiki

2010年2月13日 (土) 02:32 の版; 最新版を表示
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若狭蔵之助

若狭 蔵之助(わかさ くらのすけ、1929年生)は、日本の教育者。埼玉県秩父市生まれ。 埼玉師範学校卒業。東京外事専門学校専修科ロシア語科卒業。小学校教員を長年務めたのち、鳥取大学教育学部教授。1980年、1981年には1年間、南フランスのセレスタン・フレネのフレネ学校を訪問。彼の自由テキストや学校印刷所を軸とした、子供たちが生活から学ぶ学校に傾倒し、日本の小学校現場で、フレネに学ぶ教育実践展開し、それを次々と発表し続ける。自らの教育実践の姿勢を、生活学校と名付けた。フレネ教育研究会の設立に関与し、また日本生活教育連盟の会員でもある。


フレネ教育

フレネ教育とは、セレスタン・フレネ(Celestin Freinet,1896-1966)の教育理念に基づいた教育実践であり、児童中心主義教育の一つである。フレネの名で呼ばれる教育学の特徴とは、宗教や伝統や教師の権威で子供を縛る押しつけがましい矯正教育に反対し、あくまでこどもの興味から学習を出発させようとする。そのために、規制の教科書による一斉授業というかたちをとらずに、さまざまな手仕事や自由作文を重視し、それらの複合的な活動を組み合わせてこども自身の力で印刷し、ドキュメントとしてまとめ上げるという方法が多く用いられている。 フレネ教育の場合、まず、子供の興味があり、教師はその興味を育て組織にするためのわき役に徹しようとつとめ、学習の後に「資料(ドキュメント)」が残るのである。この点、まず指導要領があり、教科書があって、それに合わせてこどもを指導しようとする日本の教育とは正反対であるといってよい。フレネ教育は、こどもの自由に立ちながら、教師の技術や教材を重視する点で、派手ではないが堅実な教育を目指していると言えるだろう。

フレネ教育における諸活動                                                         

・自由作文                                                                   

自由作文には子ども達に二つの自由が委ねられている活動である。それは「書きたいと思ったときに書く」自由と「題材や内容の規定がない」自由である。 自由作文の具体的な内容としては、自分で捕まえた虫のこと、友達と遊んで楽しかったこと等身の回りの出来事であり、作文が完成すると、みんなの前でそれを読み、質問や感想、意見の交換が行われる。次にその日の代表が決められ,何人かの子どもたちによって活字に組まれて印刷される。そして翌日には,その印刷されたものを材料に文法や発音の学習がなされる。このように、自由作文として創造された文章はその後の発展的な諸活動の中で多くの人たちに共有され、多くのアドバイスや感想が寄せられたり、国語学習の教材の一つとして利用されたりというように何度も利用されて、その後も学級の文化財として蓄積されていく。

・アルバム学習

自由作文が自らの生活表現活動であるのに対して、アルバム学習は自由作文で触発されある出来事を探求して成果としてまとめていく研究活動である。 アルバムには形式や内容に規定はなく,その内容や作成の過程の違いにより,さまざまな種類が存在する。アルバムはみんなの前で発表され、後に述べる学校間通信の相手に送られたり、教室に展示されたりして多くの人に読まれたりして利用されていく。

・学校間通信

他の地域にある学校のある学級と相互に、自由作文やアルバム等の活動成果、地域の物産や手作りのお菓子、植物等を送りあう活動が学校間通信である。つまり、自由作文を交換して読みあい、他の物産品を口にすることで他の地域と文化交流を図っていく活動である。これはフレネの実践以来、その理念を変えることなく続いている活動の一つである。


(投稿者 SHI)


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