サッチャー

出典: Jinkawiki

2010年2月13日 (土) 11:28 の版; 最新版を表示
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目次

概要

1925年10月13日生まれ。 英国の政治家。中流家庭の出身で、父はグランサム市長。オックスフォード大学在学中から保守党連盟の指導者を務めた。卒業後、科学研究院として働く傍ら法律と税制を学んだ。1959年下院に初当選、1975年女性ではじめて保守党党首に選ばれ、1979年の総選挙で圧勝し、首相に就任。国民に自助努力を訴え、政策の主眼を福祉国家から自由主義経済国家への復帰におき、1982年にはフォークランド戦争に勝って1983年総選挙に大勝し、第二次内閣を組閣。労働組合に攻撃を向け小さな政府を目指して国有産業の民営化を図った。1987年の総選挙にも勝って第3次組閣。ヨーロッパ統合の進展に対して国家主権の尊重を唱えて次第に孤立し、国内の状況も悪化し、とりわけコミュニティ・チャージなる地方税の導入はかつての人頭税を思わせるものとして悪評を買う。1990年保守党党首選挙において過半数を獲得したものの、再投票を余儀なくされて党首・首相を辞退し、10年にも及ぶサッチャーの時代に終わりを告げた。1992年政界を引退。その強固な意思に基づく指導力を評して「鉄の女」の呼ばれた。

サッチャリズム

 サッチャリズム(Thatcherism)とは1980年代のイギリスでマーガレット・サッチャー政権によって推し進められた経済政策。  第二次世界大戦後のイギリスでは、ジョン・メイナード・ケインズの有効需要の法則やアーサー・セシル・ピグーの厚生経済学などに基づく福祉政策が採られてきた。これはアダム・スミス、デイヴィッド・リカードの古典派経済学やアルフレッド・マーシャルの新古典派経済学の理論が大恐慌によって破綻し、ケインズの「一般理論」がアメリカ合衆国のニューディール政策などで有効であることが証明され「レッセ・フェール」に修正を加える必要があると考えられたからである。いわゆる「ゆりかごから墓場まで」と言われる高い福祉政策であり混合経済である。 しかし、規制や産業の国営化などによる産業保護政策はイギリスの国際競争力を低下させ、経済成長を停滞させることになった。また、スタグフレーションが発生し、フィリップス曲線の崩壊など、政策ほころびが経済学的にも指摘されるようになった。いわゆる「英国病」と呼ばれるものである。 これらの政策は主に労働党政権によって推し進められてきたものであるが、1978年にマーガレット・サッチャーを首班とする保守党政権が誕生すると、これまでの高福祉政策を転換し大きな政府から小さな政府への転換を図られるようになった。 その非常に強硬な政治方針と信念から、在任中も、またその後も英国内では非常に毀誉褒貶の激しい二分された評価がある。財政赤字を克服しイギリス経済を立て直した救世主として国内外の新自由主義の政治家・経済論者からは未だに高い評価を受けているが、一方で失業者を増大させ、地方経済を不振に追いやった血も涙もない人間としての評価もある。医療制度を機能不全に陥らせたり金持ち優遇政策を採ったことから左派には評価が低いが、保守勢力にも古き良き英国の伝統を破壊した政治家として非難する人々がいる。 その後、保守党から政権を奪取した労働党のトニー・ブレア政権が成立すると、サッチャーによって廃止された地方公共団体や公企業が復活し、民営化によるサービス低下への対策がはかられた。医療予算は大幅に増額され、サッチャー政権のもとで機能不全に陥ったNHS(国民医療サービス)の立て直しがはかられている。また教育政策においてもサッチャー政権が導入した競争型の中等学校が事実上廃止され、公立学校の地位向上がはかられるなど、サッチャリズムの弊害除去が国の重要な政策になった(第三の道)。 とはいえ、このブレア政権の第三の道路線は膨大な予算が見込まれるためサッチャー政権下で行われた財政再建による財源的裏付けが無ければ不可能だったとする見方もあり、第二次大戦後の衰退し続けたイギリスを立て直した指導者としては一定の評価を得ており、イギリスを世界でも有数の競争力のある国家に生まれ変わらせた功績は大きい。 日本では、安倍晋三、平沼赳夫、藤岡信勝など、現在の歴史教育は「自虐的」と考える論者から、「偏向自虐歴史教科書を克服した先例」とされた。2006年に行われた教育基本法改正や教育バウチャー制度導入の動きは、サッチャーを模範としたものである。


小さな政府

 政府の役割をできるだけ小さくした方が経済の発展や国民生活の向上につながるという考え。「安価な政府」「安上がりの政府」ともいう。政府の経済活動への発展にはむしろ害であるという考え方が、18世紀から19世紀には支配的であった。これは神の見えざる手によって経済は自由放任のもとで健全に発展するというアダム・スミスの考えが基盤になっている。第2次世界大戦後は積極国家間の元で一般に大きな政府が求められるようになったが、イギリスに見られるように福祉政策の優先が市場経済の停滞をもたらしたため、その反省から1980年代には小さな政府を求めるサッチャー主義が台頭した。また、同じころ日本では中曽根康弘、アメリカではレーガンが小さな政府を掲げて市場経済重視策を取った。このように現代でも政策論として大きな政府か小さな政府か各国でも絶えず議論のあるところである。


引用文献

ブリタニカ国際大百科事典

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