日本従軍慰安婦
出典: Jinkawiki
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日露戦争から十五年戦争において日本軍の占領地などで、日本軍の管理下に置かれ、日本軍将兵の性の相手をさせられた女性たちのこと。広辞苑によると、慰安婦は「戦地の将兵を慰安(心をなぐさめ、労をねぎらうこと)する女性」とある。他の用語として「軍隊慰安婦」「皇軍慰安婦」「従軍慰安婦」などがある。
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きっかけ
慰安所が設置された最初のケースは1932年の上海である。日本は前年の1931年に満州事変を起こし、翌年1月には上海にも戦火を拡大させた。そのときに陸海軍が設置したのである。その後、満州にも設置されていった。1937年、日本は中国に対する全面戦争を開始した。上海や杭州湾から南京に向けて進撃していった日本軍はその途中、虐殺・略奪・強姦をくりかえした。地元女性に対する強姦が治安維持のうえで問題だと考えた中支那方面軍は、南京やその周辺に慰安所を設置していった。その後、華北でも日本兵による強姦が頻発したため、北支那方面軍は指揮下の部隊に慰安所設置を指示し、各地に慰安所が設けられていった。
なぜ慰安所がつくられたのか
日本軍が慰安所を作った理由は4つ挙げられる。1つ目は、地元女性への強姦を防ぐためであった。日本兵による中国女性の強姦が頻発したことが反日感情を生み出していることを危惧していたからである。2つ目は、将兵が性病にかかるのを予防するためである。民間の売春宿では娼婦が性病にかかっている確立が高く、兵士が性病にかかると治療に時間がかかり戦力が低下する。また日本国内への流入を防ぐために、軍慰安所を設置し、軍医が定期的に「慰安婦」の性病検査をおこなうなどの対策をたてた。3つ目は、戦争中に休暇制度のない兵士たちを戦場に長期間とどめておくためである。だから兵士たちに「慰安」の提供が必要であった。4つ目は、軍の機密保持とスパイ防止である。民間の売春宿を使うと軍の情報がもれる恐れがあるとして、軍慰安所を設けて「慰安婦」の行動を制約し、情報統制に努めた。いずれにせよ、慰安所というのは女性の人権を無視したものにすぎなかったのである。
慰安所の種類
日本軍が設けた慰安所はいくつかのタイプに分かれる。1つ目は、軍直営のものである。これは軍自らが女性を集め、慰安所の建設または接収、管理運営するものである。これには、女性が「慰安婦」として公認され一定の管理規制の下に置かれるケースと、拉致してきた女性を監禁し輪姦を繰り返す、上級司令部の統制外にあるケースとがある。2つ目は、軍が管理統制するが、女性集めや日ごろの経営は民間業者に任せるタイプである。民間業者に運営させる場合、軍が業者を選定し、女性を集めるために軍の証明書を出して便宜をはかり、「慰安婦」の輸送手段を提供した。
どこに慰安所が設置されたのか
日本軍が慰安所を設置した地域で、現在わかっているのは、中国、香港、マカオ、フランス領インドシナ、フィリピン、イギリス領マラヤ、オランダ領東インドと周辺の島々(インドネシア)、東部ニューギニア、アメリカ領グアム、南洋諸島(サイパンなど)、アンダマン諸島と、インド、台湾、日本の沖縄諸島、小笠原諸島、北海道、関東、九州、千島、樺太に及んでいる。日本軍が占領した地域にはほぼすべて慰安所が設置された。
どこの女性が「慰安婦」にされたのか
「日本軍慰安婦」にされた女性は、日本人、朝鮮人、台湾人、中国人、華僑(華人)、フィリピン人、インドネシア人、タイ人、マレー人、ビルマ人、ベトナム人、インド人、ユーラシアン、太平洋諸島の人々、オランダ人などがあげられる。日本の植民地と占領地のほぼすべての地域の女性が「慰安婦」にされた。「慰安婦」の全体の人数ははっきりとわからないのが現状である。吉見義明氏によると、5万ないし20万人と推定されているが、秦郁彦氏は1万5000人から2万人でその4割が日本人とみている。どのような女性を「慰安婦」としてみるのかで人数が異なってくるのだといえよう。
どのように集められたのか
強制連行や暴力的な拉致だけでなく、だまされて連れて行かれたケースや身売りなどがある。だまされて連れて行かれた背景には、日本の植民地支配のもとで農村の困窮化が進み、特に女性は就職難、生活難が深刻だったことが挙げられる。ほとんど教育を受けられなかったこともあって、甘い話に簡単にだまされてしまったのである。一方、慰安婦募集は公娼・私娼制の延長にすぎず、商取引だとする見方もある。貧乏な親が娘を身売りするのがその典型例で、慰安婦募集に自ら応じた例もあるという。
慰安婦の生活条件・待遇
「慰安婦」の外出は厳重取締とされ、散歩できる区域も決められ、外出も軍政府担当者の許可が必要だった。「慰安婦」の行動の自由は束縛されていたといえる。また、いったん「慰安婦」になると、「慰安」を強制され、奴隷状態におとしめられた。
- 日本軍の慰安婦制度は国家による大規模な犯罪であったといえる。現在、女性の人権が見直される中で、この問題を考えることは「女性の人権」の視点と「戦争責任」の視点をむすびつけるカギだといえるのではないか。
参考文献
・西村幸祐(2007)『中学生にも分かる 慰安婦・南京問題』、東京、オークラ出版 ・石出法太、金富子、林博史(1997)『「日本慰安婦」をどう教えるか』、東京、梨の木舎 ・山田盟子(1993)『「兵備機密」にされた女たちの秘史』、東京、光人社
BY.WONDER ROCKET