南北戦争2

出典: Jinkawiki

2010年8月6日 (金) 22:57 の版; 最新版を表示
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1861~65年に米国と、その連邦組織から脱退した南部11州が結成した南部連合との戦争。米国は建国以来奴隷制度の存在を認めてきたが、資本主義の発展と西方への領土拡大とともに奴隷制度は深刻な道徳的・政治的問題となり、60年西部への奴隷制度拡張に反対するA・リンカーンが大統領に当選するに及んで、61年2月奴隷制度を主張する南部7州が南部連合を結成。これを認めない北部との間に追うが起こった。戦争は61年4月12日の南軍による連邦のサムター要塞攻撃で開始され、初期には南軍が北部に進攻する勢いさえみせた。しかし、ゲティスバーグの戦いで北軍が勝利してからは戦局は北軍に有利に展開した。南部連合は優れた軍人を有するも、近代戦には貧しく、北部による海上閉鎖、ミシシッピ川封鎖作戦、南部縦断作戦によって東部においつめられ、65年4月アポマトックス・コートハウスで降伏した。4年間にわたり、南北あわせて約400万人の将兵を巻き込み、南北の戦死者は合計約62万人(北軍約36万人、南軍約26万人)であった。また、この戦争は史上初めて工業力、鉄道、電信が勝敗決定の役割を果たした本格的な近代戦争であり、連発ライフル、手動式機関銃などの新兵器が登場し、海戦では、初めて甲鉄艦、潜航艦などが使用された。なおこの戦争中、63年1月リンカーンは奴隷解放宣言を発し、南軍敗北の結果、奴隷解放が法的に実現した。しかし、黒人の社会的・経済的解放は放置され、その後、黒人はなしくずしに差別制度の中に押し込められた。戦後南部の北部への経済的従属化、植民地化はいっそう深まり、南部をその市場に組み込んだ産業資本主義は飛躍的な発展をとげることとなった。

情報は下記のものから引用 ブリタリカ国際大百科事典

ハンドル名:かめ


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