ポーランド分割
出典: Jinkawiki
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ポーランド分割とは
ポーランド分割は、18世紀にポーランド・リトアニア共和国の領土が3度にわたって周囲の大国に奪われ、最終的に完全に領土を失って滅亡したことをいう。
ウィーン会議の際はそれぞれが併合した領土にはある程度自治権を有することが決定され、いずれもポーランドの文化とポーランド人の権利を尊重してポーランド語の使用を承認することが保証されていたが、それらの約束はすぐに破られ、領土は再併合された。
概要
ポーランド分割は 第一回:1772年8月5日 第二回:1793年1月23日 第三回:1795年10月24日 の三度に渡っており、行ったのはそれぞれ第一回:プロイセン・オーストリア・ロシア、第二回:プロイセン・ロシア、第三回:プロイセン・オーストリア・ロシアである。
第二回分割が行われたのはフランス革命の時期であり、オーストリアはマリー・アントワネットがオーストリアの大公家出身(マリア・テレジアの末娘)であった関係からフランス革命に巻き込まれてしまったために第二回分割には参加していない。
これ以降、独立を回復する第一次世界大戦後(1919年)まで、ポーランドは事実上滅亡したままとなっている。
備考
広義には、1815年のウィーン会議によるワルシャワ公国の解体が第4回ポーランド分割、1939年の第二次世界大戦勃発時にナチス・ドイツとソビエト連邦が行なったポーランドの分割占領が第5次ポーランド分割と呼ばれる事もある。
参考
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