メアリー・リッチモンド
出典: Jinkawiki
メアリー・リッチモンドは、ソーシャルワークの1つである個別援助技術の「ケースワーク」を最初に用いた「ケースワークの母」であるケースワークの母と言われている。
メアリー・リッチモンドは1861年にアメリカに生まれた。家は貧しい鍛冶屋であった。
当時アメリカは南北戦争の最中であり、貧困により人々の生活は困難を極めていた。
リッチモンドの両親・兄弟は当時流行していた結核や栄養失調によりにより相次いで亡くなり、彼女は祖母に引き取られ育った。
1889年にはアメリカ、ボルチモアの慈善組織協会の会計補佐として就任し、2年後には総主事になった。
それまでの慈善組織協会の友愛訪問は、イギリスからアメリカへとはいってきたものであり、貧困はその人の怠惰な性格や生活によるものだという考えがあったため、その内容も貧困者に対する救済が適切に行われるように調節すると同時に、家庭訪問により人格的な影響を与えようというものであった。
しかし、リッチモンドは自らの生い立ちから、貧困問題の解決は怠惰のをなおすことや規則正しい生活の訓練のみではなく、社会的な環境や条件を改善することが必要であると考えていた。
そして慈善組織協会の友愛訪問に疑問を持ち、『貧困者への友愛訪問』という著書を出し、友愛訪問は貧困者の家庭の喜びや悲しみ、人生の考え方に共感を持って身近に知ることであるとした。
1917年になると『社会的診断論』を著し、調査、検討、社会的困難の明確化を「社会的診断」とし、個別援助技術を科学的な方法で理論化・体系化をしていった。
1922年には『ソーシャルケースワークとは何か』を著した。これはヘレン・ケラーを教育したサリバンの手法をまねたものであり、環境の力を利用して人格発達をはかる教育方法に感銘を受け、環境を重視した個別援助技術理論を確立したものである。
やがてリッチモンドは「ケースワーク(個別援助技術)の母」と呼ばれるようになった。そして「ケースワークは、人とその社会環境との間に、個々別々に、効果が上がるように意図された調整を行って、パーソナリティの発展をはかる過程である」という定義を示した。