北欧の歴史

出典: Jinkawiki

2011年1月22日 (土) 00:24 の版; 最新版を表示
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アメリカ大陸の発見

アメリカ大陸発見のドラマが北欧古代文学の「グリーンランド人のサガ」のなかで語られている。ビャルニという男が、985年にアイスランドからグリーンランド移住に出発した赤毛のエリクに同行した父のあとを追って途中舟を流され、遠く東西に漂流して見知らぬ土地を3度目にした。そして父と再会したのだ。その後992年にエリクの息子ライフ・エリクソンがビャルニの見た土地への探険を思い立ち35人の仲間たちと旅に出た。そして彼らは上陸したところを、ヘルラント・マルクランド・ヴィンランドと命名した。この出来事はすべてコロンブスのアメリカ大陸発見の500年前には起こった。

絶対王政~カール11世~

カール11世は1672年に国王になる。乗馬と狩りを中心として、戦士の生活に最大の関心を持つ有能な国王だった。他方デンマークのクリスチャン5世は領土の回復を狙い、1675年に再びスウェーデンに戦いを挑んだ。デンマーク軍がスコーネに上陸し、スコーネは再びデンマークのものになるかと思われた。しかし両軍は1676年ルンドで会戦した。この戦いは北欧の戦史でもっとも凄惨な戦闘だったといえる。結果、スウェーデンの勝利で幕を閉じた。またカールは、戦時中元老院の存在などまるで無視していた。1682年には元老院の問題について議会の同意を得ないで国王直裁の法的措置をとる旨を通報し、議会もこれを受け入れた。こうしてデンマークおよびヨーロッパ諸国と同様にスウェーデンの絶対王政が始まった。

仮面舞踏会

1789年、国王は国民議会で市民・農民を味方につけて、戦争に反対しロシアとの和平活動をおこなっていた貴族を孤立させて絶対王政を完成させた。グスタフは、この頃に起こったフランス革命が北欧に波及してくるのを恐れた。この間に貴族はひそかに国王暗殺の計画を立てていた。そして1792年3月16日の夜、オペラ座で仮面舞踏会が開かれた。国王は暗殺の危険を警告するよう告げられていたが、気にせず仮装をして舞踏の輪に入った。まもなく黒い仮面の数人に囲まれ、背中から撃たれた。致命傷ではなかったが、その2週間後46歳の若さで亡くなった。グスタフ3世を高く評価する人は多かったが、一方で怨みを抱いている人もいて、犯人はアンカーストレムという元近衛士官だといわれている。


参考文献

「物語 北欧の歴史」 武田龍夫 中公新書 1993年5月25日発行


Y.M


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