ルワンダ虐殺

出典: Jinkawiki

2011年1月25日 (火) 12:25 の版; 最新版を表示
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ルワンダ虐殺とは、1994年にアフリカのルワンダで起きたジェノサイド(大量虐殺)である。約100日間にわたってフツ族がツチ族を虐殺し、約100万人が殺された事件である。


概要

ルワンダという国にはもともと二つの民族(フツ族とツチ族)が生活していて、かつてはツチ族が優位に立っていた。これはルワンダがドイツの植民地になっていた時代(1899年頃)のことで、ドイツはツチ族を優遇することで国を強制的にまとめようとした。その後第一次世界大戦でドイツが敗北したので、ルワンダはベルギーの植民地となった。ベルギーも最初は教育や労働の場面においてツチ族を優遇する政策を行い、フツ族とツチ族を完全に二分した。しかし第二次世界大戦後、ベルギーはルワンダ安定させるため、多数派のフツ族を支持するようになり、それからは国をフツ族が納めるようになった。

大量虐殺の引き金となった事件は、1994年4月に起きたルワンダ大統領暗殺である。これはルワンダ大統領(フツ族出身)の乗った飛行機が、二発のミサイルによって爆破され死亡した事件である。未だにミサイルを撃った犯人は特定されていないが、これがかつてからあった二つの民族の対立が激化し、多数派のフツ族が少数派のツチ族を一方的に虐殺する大きな原因となった。虐殺は全てのツチ族に対して行われ、性別、年齢などはいっさい関係なかった。この虐殺には、政府の組織的なツチ族迫害やメディアを使った洗脳によりフツ族がいっそう過激化したという背景があり、これらが驚異的な大量虐殺に繋がったとされている。政府の中にも「ツチ族がいなくなればこの国は平和になる」と考えていた人間が多数いたようだ。また、使われた凶器は銃や爆弾ばかりでりはなく、マチューテというバナナ収穫用ナイフや農業用の鍬などが多く使用された。その結果、推定117万4千人がたった100日間で殺害され、これは一日で約1万人、1時間で約400人、1秒で7人が殺されたという計算になる。

最終的にこの虐殺は、早い段階で海外に逃れていたツチ族によって結成された反政府組織「ルワンダ愛国戦線」によって制圧され、終焉をむかえた。


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