師団
出典: Jinkawiki
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師団というのは、陸軍の編成の基本単位である。 「基本」とはどういうことかというと、作戦を立てるときにひとつの「将棋の駒」のように考えるのが師団であるということだ。 通常、師団は分割されない。例えば「北部戦線に援軍が必要だ」というとき、司令部では「じゃあ6個師団送ろう」や「2個師団でいいか」というように判断し、決して「14個連隊送ろう」や「32個大隊送ろう」というようには考えない。 つまり、ある師団を構成する連隊や大隊はその師団だけのもので、他の師団司令部に移籍されたりはしないということである。 そのため、師団は一応自分で独立して動けるように、全ての兵科(歩兵・騎兵・工兵・砲兵など)を含むことが建前である。また、自前の補給部隊も持っている。また、師団司令部には参謀(作戦や管理について師団長を助けるスタッフ)、事務官、軍楽隊、憲兵(軍隊内の警察)などが付属する。師団長は、欧米では少将、日本では中将となる。一九一〇(明治四十三)年の韓国併合、翌年の中国の辛亥革命勃発によって、大陸で陸軍の果たすべき役割は拡大したと論じられた。陸軍は、国防方針に規定された師団増設(増師)計画達成を急がねばならないと主張し、従来の一九箇師団に加えて、朝鮮に駐屯すべき二箇師団の増設を要求するのである。
大正と改元された直後の大政治問題となった二個師団増設は、山県の指導する軍備拡張計画から当然出てくる問題ではあったが、同時に長州閥の陸軍が試みた世論に対する1つの反撃でもあった。ことの起こりは、財政難を打開するため、西園寺内閣は行財政整備を中心的な政策にかかげ、大正二年度予算でその実をあげるため、各省とも予算縮小を実行することとしたが、この際、海軍だけには約六百万円の予算増加をみとめたことにあった。 この形勢をみた陸軍側は、陸軍の経費を約二百万円削減し、この費用で朝鮮に二個師団増設するという案を立てた。それは、清朝滅亡後の中国情勢がどうなるかわからない、という危機感を背景としながら、直接には海軍に対する派閥意識、対抗意識にもとづいていた。
参考URL
http://homepage2.nifty.com/daimyoshibo/mil/division.html