工場法改正の失敗
出典: Jinkawiki
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工場法を改正しようとした人物にロバート・オウエンという人物がいる。『新社会観』によって工場経営の枠を超えて、社会問題の解決を視野に入れていった。一八一五年にグラスゴウで開催されたスコットランド製造業者の集会における「工場制度に関する考察(Observation on the Effect of the Manufacturing System)」と題するスピーチから彼の行動は始まる。その時に二つの提案(綿花の輸入に課せられていた高い関税を免除すべきというもの、工場で働く児童の労働時間の短縮を求める工場法の改正の提案)を行った前者は満場一致で賛成であったが、後者に賛成する者はだれ一人いなかった。産業革命以前までは、最も貧しい親たちでさえ、こどもが労働を始める年齢は一四歳が適当であると考えていた。その年齢まで、子どもは外で遊び、丈夫な体の基礎を作り上げ、家庭生活についての有効な知識を教えられていた。これに対して、(今日の)工業地帯では、次のことがごく普通のことである。親たちが、男女とも七,八歳の子供たちを夏でも冬でも朝六時には、つまり、ある時は霧がかかりあるいは雪の降る中を工場に通わせ、工場に入れば、そこはしばしば高温に保たれ、人間生活にとって最も快適な環境とはおよそかけはなれた状態である。工場に雇われている者はすべて、正午一二時まで働き続け、昼食のために一時間の休憩をはさんで、夜八時までさらに働き続けるのである。(Observations on the Effect of the Manufacture System,Selected Works,Vol.1,pp.113-114)つまり、産業革命がいかに児童労働に急激な変化を与えたかということがわかる。のちにイギリスの白人奴隷とアメリカの黒人奴隷とを比較して、『自叙伝』のより、白人奴隷のほうが悲惨な状況にあると述べている。このような認識に基づいて、工場法を次のように改正することを提案した。第一、機械工場における法定労働時間は、食事時間一時間半を含む一日一二時間に制限すること。第二、一〇歳未満の児童を機械制工場で雇用してはならないこと、また、一二歳未満の児童を一日六時間以上働かせてはならないこと。第三、児童は男女ともに、ここに指示された時期をすぎても、通常程度の読み書きができ、初等算数の四則が理解でき、さらに女子は普段着が縫えるようになるまでは、いかなる工場でも雇用が認められるべきではない。 しかし製造業者たちはそもそも自由であるべき経済活動を立法によって干渉すべきではないとの基本的な態度からであった。一九世紀から今まで論じられてきた自由化規制下の経済政策・社会政策をめぐる論争が始まったのである。 この提案が「一八一九年法」として成立した時には、労働者保護規程の実質は骨抜きにされていた。さしあたって、工場法の改正に失敗してしまったのである。
参考文献 ロバート・オウエン 土方直史