イラク

出典: Jinkawiki

2011年7月25日 (月) 03:08 の版; 最新版を表示
←前の版 | 次の版→

正式名称はイラク共和国。首都はバグダッド。 中東・西アジアの連邦共和制国家で隣国はイラン、クウェート、サウジアラビア、シリア、トルコ、ヨルダン。 メソポタミア文明を受け継いでいる。 世界で3番目の原油埋蔵国。水不足、生態系破壊、大気汚染、水質汚濁、土壌劣化、砂漠化などの環境問題がある。

面積:約43.74万平方キロメートル(日本の約1.2倍)

人口:約2,710万人(2004年推定:世銀)

言語:アラビア語、クルド語 、トルクメン語 、アッシリア語(ネオアラム語)、アルメニア語 民族:アラブ人(シーア派約6割、スンニー派約2割)、クルド人(約2割)、トルクメン人、アッシリア人等

宗教:イスラム教97 % (シーア派60 % -65 % 、スンニ派32 % -37 % )キリスト教他 3 %

政体:共和制

元首:ジャラール・タラバーニー大統領

主産業:石油関連産業


 歴史

技術的にも世界の他地域に先行していたといわれるメソポタミア文明から始まる。 紀元前4000年ごろから数々の王国や王朝がこのメソポタミア地方を支配してきた。

その後西暦634年あたりからイスラム帝国の支配下となる。このころからアラブ人により「イラク(イラーク)」という名がつくようになり、8世紀にはアッバース朝のカリフがバグダードに都を造営。アッバース朝が滅びるまでイスラム世界の精神的中心として栄えた。

1258年にバグダードがモンゴルのフレグ・ハンによって征服され、最終的にこの地域はオスマン帝国の統治下に入る。

第一次世界大戦末、イギリスとフランスはオスマン帝国とサイクス・ピコ協定などを結び、現在のイラクにあたる地域はイギリスの勢力圏と定められた。

ハーシム王家により1932年にはイラク王国として独立を達成。1979年にサッダーム・フセインが大統領に就任。 その後イラン戦争やイラク戦争などが起こる。


参考サイト:http://www.iraq-jccme.jp/basic/linksForBasedata.php http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/iraq/ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%AF


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成