方言2

出典: Jinkawiki

2011年8月10日 (水) 00:12 の版; 最新版を表示
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言葉とは

言葉は、あらかじめ区切られた独立の存在であるものや概念の名前ではない。

人間の歴史は言語とともに始まった、と言われているが、言語の起源を探ることは非常に困難である。

言葉は、それが話されている社会にのみ共通な、経験の概念化であった、混沌とした現実を整理する役割をもつ。


日本の言葉

どこの国にも存在するが、日本にも「方言」はもちろん存在する。 日本は1960年代から方言に対する意識が高まり、方言をなくそうとしたり、なくなるのを阻止したりを繰り返している。

1 共通語

全国どこへ行ってもお互い通じ合える言葉のこと。 高年層は共通語が好きであるが、若い世代は東高西低である。 松本以東は好きの割合が多いが大垣以西では少ないのだ。


2 方言

やはり生まれ育ったところの方言は皆好きである。 しかし、東京を中心とした標準語が流通する中、方言の東西差が生まれた。 東北の人は共通語を積極的に使うようになった。 笑われた経験があるからである。 もちろん、西の人も笑われた経験を持つが、ここに人間性の違いが見られたのだ。 自身がなくても気にしないというのが西日本の人たちの性格らしい。 また、「気候」も方言には関係しているという。 たとえば、東北は早口である。 東北は寒いため、口を開いている時間を少しでも短くしようとしたからである。 そのため音節数や語数の少ない簡潔表現が多いのだ。「ドサ?(=どこに行くの?)」などが例に挙げられる。


3 共通語の手本

東京だけが「家族の言葉」が共通語の手本であり、他の地域では「テレビ」が主な手本である。 テレビの影響力がいかに協力なものであるかがうかがえる。 そしてこれだけ東京以外の地域が共通語を身に着けるのには共通語には良いイメージがあるからである。


共通語の登場により、日本人全体が場面によって「使い分け」をするようになったのだ。


方言衰退の意識

明治以降、日本語はひたすら均質化されるよう、方言撲滅を目指した国語教育や、標準語運動がなされた。 しかし、方言を惜しむ声が各地で広まったのだ。 最近の子供たちは幼いうちは方言をあまり使わずに共通語を使う。 結局フォーマルな場所で使用するものは共通語であることが常識となってしまったからだ。 場面によって使い分けることが現代人の常識であり、当然の行為である概念を作ったことが原因で方言の衰退を止めることは困難となってしまっているのが現実である。



〈参考文献〉

 丸山圭三郎(著) 『言葉とは何か』 2001年 夏目書房

 佐藤和之・米田正人(編著) 『どうなる日本のことば-方言と共通語のゆくえ』 1999年 株式会社 大修館書店

 佐藤亮一(著) 『生きている日本の方言』 2001年 株式会社 新日本出版社

 真田信治(著) 『方言は絶滅するのか 自分のことばを失った日本人』 2001年 PHP研究所


(投稿者 dorothy)


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