二十四組問屋
出典: Jinkawiki
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17世紀末大坂の荷積問屋が商品別に組織した組合。
概要
廻船の定期的な運航が始まった頃には,輸送業務に係わる一切が,廻船問屋と船頭の自由な裁量に任されていた。そのため,難船に見せかけて積み荷を横領するなどの不正行為がしばしば起きた。そこで,荷主の立場を強化するため,元禄7年(1694年),江戸の問屋商人が結集して,江戸十組問屋を結成した。これに呼応して,大坂でも,二十四組問屋が出来た。この十組問屋と二十四組問屋の関係は,注文主と買次人の間柄で,その商品を運搬するのが廻船問屋という新たな構図が成立したのである。これにより,菱垣廻船は,廻船問屋の自由な裁量による独立営業の性格を失い,十組問屋・二十四組問屋の手船,あるいは定雇船同然の位置付けとなった。
二十四組問屋には取締方,惣行事,大行事,通路人などの役員があり,仲間定法を定めて,全体を管理していた。 その規約には,次のような条項が定められていた。一,注文を受けた買次荷物は,なるべく安価に買い入れて送付すること。一,荷物送状には必ず積み込み荷物の元価を記入すること。一,江戸荷主よりの買次諸荷物の海上請合,船歩銀の減額請求等には一切応ぜざること。一,菱垣廻船以外には一切積み込まぬこと。一,荷渡し後の荷物の異変には,その責に任ぜざること。さらに仲間の新加入に対する条件としては,実子の分家による加入,奉公人の別家による加入,その他無関係者等に対し各々加入金に等差を設け,全く新規の加入者は仲間全部の同意を得,金百両を加入金として振る舞うことを定めていた(以上『日本植物油沿革略史・黄金の花』〈日本製油株式会社発行〉より)。十組問屋と二十四組問屋の連携により,廻船に関わるもめ事は激減し,就航する船の数もさらに増え,享保8年(1723年)には,菱垣廻船のみで160艘に達した。
問屋の種類
綿買次問屋,油問屋,鐵釘積問屋,江戸組毛綿仕入積問屋,一番組紙店,表店(畳表),塗物店,二番組紙店,内店組(木綿類),明神講(昆布,白粉,線香,布海苔,下駄,鼻緒,傘,絵具類),通町組(小間物,古手,葛籠,竹皮,日傘,象牙細工類),瀬戸物店,薬種店,堀留組(青筵類),乾物組,安永一番組(紙類),安永二番組(金物,鋼,鐵,木綿,古手,草履表,青筵,火鉢類),安永三番組(渋,櫓木,砥石類),安永四番組(打物,釘金,砥石類),安永五番組(煙草,帆木綿,布海苔類),安永六番組(指金,肥物,鰹節,干魚,昆布類),安永七番組(鰹節,傘,柳行李,白粉,砥石,木綿類),安永八番組(蝋店),安永九番組(木綿,灰,紙屑,針金,古綿,古手,櫓木類),安永追加九番組鰹節組・同東組(紙,木綿,綿類),同紅梅組(足袋,下駄,雪駄類),同書林組,同榮組(白粉,竹皮,木綿類),同航榮組(菱垣廻船問屋,書林,小間物,布,畳表,諸方荷次屋,蝋,紙類)。
参考文献:http://www.abura-ya.com/naruhodo/rekishi/rekish29.html
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