スティーブ・ジョブズ
出典: Jinkawiki
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アップル社創設者の1人であり、ピクサー・アニメーション・スタジオの創設者。元アップル(Apple)社CEO。1955年2月24日生まれ、2011年10月5日没。 1976年、アップルコンピュータ(現アップル)を設立。1981年に解任され、1985年に退社。同年NeXTを設立し、1986年にピクサー(Pixar)CEOに就任。1996年、アップルコンピュータがNeXTを買収したことにより、再びアップルコンピュータへ。2000年に再びCEOに就任し、iPod、iTunes、Mac OS X、iPhone、MacBook Air、iPadなどの製品をヒットさせた。 2011年8月24日、体調不良を理由に、自らCEOを辞任すると発表。 2011年10月5日、Appleがジョブズの死去を発表した(享年56)。 死亡証明書によると、カリフォルニア州パロアルトの自宅で、現地時間5日午後3時頃に妻と親族に看取られ、息を引き取った。直接の死因は、「転移性のすい臓の腫瘍」による「呼吸停止」と記されている。
『おおぼら吹き』『詐欺師』とも異名をとるカリスマ経営者で(iPodの成功以降、「おおぼら吹き」「詐欺師」の異名を聞く機会はめっきり減ったように思われる)、「現実歪曲フィールド」を発生させる能力を持つ。いちじるしくバランスの欠けたアクの強い性格で知られており、自己中心的自己顕示欲、反骨精神、大胆な行動力、卓越した話術、そして鋭いビジネスの嗅覚を合わせもっている。 ジョブズを知る人物は彼を徹底的に嫌うか崇拝するかのどちらかだと言う。人物としての極端さは、自分が中心となって創始したApple社を、よりによって自らがスカウトした人物の手によって追放されてしまうという遍歴にもあらわれている。その後人間が丸くなったとも言われるが、Apple復帰直後の情け容赦ないリストラに衰えることのない強靭な信念と行動力を見た者は少なくないだろう。その様子を「馬鹿殿の御乱心」と批判したMacユーザーも少なからずいたほどである。しかし、当時倒産・買収まで囁かれていたAppleをiMacやiPodなどで立て直した手腕が非凡であったことに異論を挟む余地は少ないだろう。 一時、ジョブズをアメリカ大統領にしようとする動きがあったが、本人は家族を政治の圧力から守るべく断ったという。 1984年はMacintoshデビューの記念すべき年。ジョブズはその翌年にAppleを追放され、NeXT社を創設。その技術は高く評価されたが、最終的にはビジネスとして大失敗に終わった。ジョブズの口車に乗って投資した人、企業も多く、『おおぼら吹き』『詐欺師』の悪名は最高潮となった。 一方、1986年、ルーカスフィルムの特殊効果部門を買いとり、ひっそりとPixar社を創設した。ジョブズはこの会社に関しては現場にまったく口を出さないらしく、そのせいか、Pixarは特に95年以降、CGアニメーションスタジオとして順風満帆すぎる成長をとげた。 1996年、NeXT社は、当時どん底の赤字経営だったApple社に買収され、翌年、ジョブズは暫定CEO(2000年から正式なCEO)として古巣Appleに返り咲くことになる。Appleに復帰後、ジョブズは開発部門の徹底的リストラを行ない、互換機路線をシャットダウンして多くの人の怒りを買った。しかし1998年のiMac投入により、Appleの黒字転換に成功。この間、旧OSであるMac OS 9を葬り去り、NeXTワークステーションのOSだったNeXTSTEPの子孫である現在のMac OS Xに移行させる。 この(ジョブズ一流の強引な)移行もMacユーザの間で激しい物議をかもしだした。従来のMac OSの特徴であったファインダのデスクトップ・メタファを軽視して、主眼をリスト式のディレクトリ・ブラウジングにシフトした点は旧OS支持者から特に批判される一方、扱うファイル数の増加したことにともなう現実的な方向転換だと評価する向きもあった。また、2002年のWWDCにおける基調講演においてジョブズはOS 9を棺桶に入れるパフォーマンスを演じ、旧OS信者を激怒させた。 一方でOS Xはその堅牢性や美しいビジュアル(これについては「華美すぎる」「フォントが見にくい」などの批判もある)、比較的敷居の低い開発環境、UNIX互換OSとしての利点(Perl、phpなどを標準装備していること、TeXなど定番オープンソースソフトウェアとの親和性が高いことなど)、プリエンティブマルチタスクの恩恵などを積極的に評価するMacユーザもおり、長期的視点からの評価が待たれる。