鎌倉新仏教
出典: Jinkawiki
鎌倉新仏教とは,鎌倉時代におこった浄土宗・浄土真宗・時宗・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗を包含する呼称である。阿弥陀如来に帰依し,念仏を唱え,死後極楽浄土に往生することを願う信仰は,平安後期全国的に流行した。しかし,当時は多様な立場の僧たちが阿弥陀信仰をいだき,独立した宗派の形をとっていなかった。現世利益祈願は密教,来世の救いは浄土教というように,重層的な信仰の人々も多かった。
このような信仰の在り方に訣別し,阿弥陀如来だけをひたすら頼って他の教えを捨てて,専修念仏を通して救いを求めることを説き,浄土宗を開いたのが法然である。開宗は1175(承安5)年といわれている。この易行に対してしばしば弾圧があったが,鎌倉時代になるとしだいに広がり,法然没後いくつかの門流に分かれて発展することとなる。この法然に学び,師とは異なる念仏思想に到達して独自の布教を行ったのが浄土真宗の始祖といわれる親鸞である。また,やや遅れて浄土宗西山派門に入り,遊行・踊躍念仏などの布教方法を用いたのが一遍で,彼の系統が後に時宗とよばれる。 わが国の内部で育った浄土宗系宗門とは異なり,臨済・曹洞の禅宗は鎌倉前期に中国から新しく伝えられた。臨済宗は栄西在世中には独立した一宗としては根付かず,北条時宗が宋僧蘭渓道隆を迎えて,1253(建長5)年に鎌倉に建長寺を開いてから定着した。その後全国に浸透していく。曹洞宗は,道元が世俗の権力者との交わりを避けて越前の永平寺にこもったために,鎌倉時代にはまり大きく発展しなかった。しかし,室町時代になると急速に広まったようである。 もう一つの新しい仏教が,日蓮が開いた日蓮宗である。「南無妙法蓮華経」の題目を唱えることをすすめ,他宗派を激しく攻撃しながら布教した。
・浄土宗 (種別:念仏)
開祖と中心寺院:法然 知恩院(京都) 主要著書:『選択本願念仏集』(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう) 教義とその特色:難しい教義を知ること,苦しい修行,造寺・造塔・造仏のどれも必要ない。「南無阿弥陀仏」をひたすらに唱えること(専修念仏)が必要。 支持層:公家・武士・庶民
法然は,鎌倉新仏教の一番手といえる。延暦寺所属の官僧(天皇から得度を許可され,国立戒壇のいずれかで授戒を受けて一人前となった国家公務員的僧侶。国家的な入門儀礼システム下にあった僧侶)として出発。1133(長承2)年,武士漆間時国の子として美作国(岡山県)に生まれた。9歳の時に土地争いに関連し,父親が殺害される。父の遺言に従い,叔父の僧侶観覚のもとで出家のため勉強。1145(久安元)年,比叡山延暦寺に登り,15歳の1147(久安3)年には,延暦寺戒壇で座主行玄を戒師として授戒を受ける。18歳で黒谷別所(比叡山内にあるが,聖と呼ばれる官僧から離脱した僧などが集まる官寺と俗かいの境界的な場所)に移り,叡空を師として修行。1156(保元元)年に黒谷をでて,清涼寺や醍醐寺などで遊学。その後,専修念仏の立場を固め,浄土宗を開く。京都東山の吉水で教化に努め,鎌倉新仏教の祖師としての活動が全面展開され始める。次第に勢力が拡大し,九条兼実など上級貴族までも信者となるに至る。 専修念仏とは,「念仏こそは,絶対的存在である阿弥陀によって選択された極楽往生のための唯一の行であり,念仏のみを専ら修せよ」という考え。これは,この世における人間の宗教的能力の平等を説くものであるという。延暦寺や興福寺など,修行の程度によって宗教的能力の差を認める僧たちからは政党ではないとみられた。
・浄土真宗 (種別:念仏)
開祖と中心寺院:親鸞 本願寺(京都) 主要著書:『教行信証』(きょうぎょうしんしょう),『歎異抄』(たんにしょう)(弟子唯円の著) 教義とその特色:法然の教えを一歩進めた。一念発起(一度信心をおこして念仏を唱えれば,ただちに往生決定)や悪人正機説(煩悩深い悪人こそ阿弥陀仏が救おうとする相手である)を説く 支持層:庶民・地方武士
親鸞は,1173(承安3)年に中級貴族の日野有範の子として生まれる。1811(治承5)年,9歳で出家し,延暦寺の青蓮院慈円のもとに入り,堂僧をつめるが,1201(建仁元)年,29歳の時に法然の門下に入る。親鸞も法然と同様,延暦寺の官僧となり,そこから離脱した。
・時宗 (種別:念仏) 開祖と中心寺院:一遍 清浄光寺(神奈川) 主要著書:一遍は死ぬ直前に著書を焼いた 教義とその特色:信心の有無,浄・不浄を問わず,すべての人が念仏を唱えれば救われると説き,神祇信仰を取り入れ,諸国を遊行しながら踊念仏によって布教し,遊行上人と呼ばれる 支持層:庶民・地方武士
一遍は,1239(延応元)年に伊予(愛知県)の河野通広の子として生まれた。10歳で母を亡くし,1250(建長2)年に浄土宗西山義の聖達のもとで出家。1263(弘長3)年に,いったん僧侶をやめて俗人にもどるが,1267(文永4)年に再び出家。以後,悟りを深め遊行の旅を続ける。
・日蓮宗 (題目) 開祖と中心寺院:日蓮 久遠寺(身延山(山梨)) 主要著書:『立正安国論』(りっしょうあんこくろん) 教義とその特色:釈迦の正しい教えとして法華経を学び,題目(南無妙法蓮華経)を唱えれば救われると説く。 支持層:関東の武士・商工業者
日蓮は,1222(貞応元)年に安房(千葉県)の漁師の子として生まれる。12歳の時,安房国の天台宗清澄寺で出家。伝承では,鎌倉・京都・延暦寺・南都などで修行したとなっているが,当時の天台宗の僧侶は延暦寺で授戒を受けることになっていたため,おそらく日蓮も延暦寺で授戒を受けたと考えられる。1253(建長5)年の32歳の時,清澄寺へ帰り,自己の悟り(「法華経」以前の諸経典は,絶対的存在である釈迦の悟りの真相をいまだ説き切っていないものとして否定し,末法においては「南無妙法蓮華経」(題目)を唱える「唱題」だけでよいとするもの)を広め始めた。1256(建長8)年には鎌倉にでて,鎌倉の民へと布教を始めた。
・臨済宗 (種別:禅)
開祖と中心寺院:栄西 建仁寺(京都)
主要著書:『興禅護国論』(こうぜんごこくろん)
教義とその特色:坐禅をくみながら,師から与えられる公案(修行をする者に示して悟りを工夫させる問題)を1つ1つ解決して(公案問答),悟りに達することを主眼とする
支持層:公家・幕府有力者
栄西は,1141(永治元)年に備中国(岡山県)に生まれ,14歳で出家。延暦寺で授戒を受ける。以後,2度入宋。1194(建久5)年以後,禅の布教を始める。
・曹洞宗 (種別:禅) 開祖と中心寺院:道元 永平寺(福井) 主要著書:『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう) 教義とその特色:ひたすら坐禅すること(只管打坐)によって悟りに達することを主眼とする。 支持層:北陸中心の地方武士
道元は,1200(正治2)年に内大臣源通親の子として生まれるが,幼くして父母に死別する。1212(建暦2)年に延暦寺に登り,1213(建保元)年に延暦寺戒壇で授戒を受ける。1223(貞応2)年に入宋し,禅道に悟りを開いたという。1227(安貞元)年に帰朝して,一時建仁寺に身を寄せるが,延暦寺門徒を批判したため1230(寛喜2)年には安養院にうつる。
- 参考
・『図説 日本の仏教 第四巻 鎌倉仏教』1988年 三山進(責任編集者) 新潮社
・『鎌倉新仏教の誕生』1995年 松尾剛次 講談社現代新書
・『新詳 日本史』2006年 浜島書店