核兵器拡散防止条約
出典: Jinkawiki
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平成19年5月段階では以下の通りである。 1.NPTの概要 (1) 条約の成立及び締約国 (イ) 核兵器の不拡散に関する条約(Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons:NPT)は、1968年7月1日に署名開放され、70年3月5日に発効(我が国は1970年2月署名、1976年6月批准。)。 (ロ) 締約国は190ヶ国(2007年5月現在)。非締約国はインド、パキスタン、イスラエル。
(2) 条約の目的と内容 (イ) 核不拡散:米、露、英、仏、中の5ヶ国を「核兵器国」と定め、「核兵器国」以外への核兵器の拡散を防止。 (参考)第9条3「この条約の適用上、「核兵器国」とは、1967年1月1日以前に核兵器その他の核爆発装置を製造しかつ爆発させた国をいう。」 (ロ) 核軍縮:各締約国による誠実に核軍縮交渉を行う義務を規定(第6条)。 (ハ) 原子力の平和的利用:右は締約国の「奪い得ない権利」と規定するとともに(第4条1)、原子力の平和的利用の軍事技術への転用を防止するため、非核兵器国が国際原子力機関(IAEA)の保障措置を受諾する義務を規定(第3条)。 (参考)NPTの主要規定・・・前文、条文全11条及び末文から構成。 • 核兵器国の核不拡散義務(第1条) • 非核兵器国の核不拡散義務(第2条) • 非核兵器国によるIAEAの保障措置受諾義務(第3条) • 締約国の原子力平和利用の権利(第4条) • 非核兵器国による平和的核爆発の利益の享受(第5条) • 締約国による核軍縮交渉義務(第6条) • 条約の運用を検討する5年毎の運用検討会議の開催(第8条3) • 「核兵器国」の定義(第9条3) • 条約の効力発生の25年後、条約が無期限に効力を有するか追加の一定期間延長されるかを決定するための会議の開催(第10条2) *1995年5月、条約の無期限延長が決定された。
2.NPTの発展と現状 (1) 90年代における条約の普遍化とNPT体制への挑戦 (イ) 締約国の増加 • 南ア(91年。保有していた核兵器を放棄して「非核兵器国」として加入。) • 仏・中(92年) • ベラルーシ、ウクライナ、カザフスタン(~94年。核兵器を露に移転して「非核兵器国」として加入。) • アルゼンチン(95年)、伯(98年) • キューバ(02年) • 東ティモール(03年) • モンテネグロ(06年)(セルビア・モンテネグロの分離に伴うもの。セルビア・モンテネグロとしての加入はセルビアが継承した。) (ロ) NPT体制への挑戦 (a) NPT体制内の問題(条約締約国が条約上の義務を不履行): イラク(91年)、北朝鮮(93年)の核兵器開発疑惑 (b) NPT体制外の問題:インド、パキスタンの核実験(98年)
(2) 95年NPT運用検討会議(於ニューヨーク)
会議では、以下の3つの「決定」及び「中東に関する決議」を採択。
(イ) 「NPT延長に関する決定」
締約国の過半数の支持により、第10条2に従い、条約の無期限延長を決定。
(ロ) 「条約の運用検討プロセスの強化に関する決定」
運用検討会議を今後5年毎に開催し、2000年運用検討会議の開催を決定。そのための準備委員会を97年より毎年、計3回に亘り開催。
(ハ) 「核不拡散と核軍縮のための原則と目標に関する決定」
特に核軍縮につき、96年までのCTBT交渉完了とそれまでの核実験の最大限の抑制、カットオフ条約交渉の即時開始と早期妥結、核兵器国による究極的廃絶を目標とした核軍縮努力を強調。
(3) 2000年NPT運用検討会議(於ニューヨーク) 会議では、以下をはじめとする核軍縮・不拡散における将来に向けた現実的措置を含む「最終文書」をコンセンサス採択。 • CTBT早期発効及びそれまでの核実験モラトリアム • 軍縮会議(CD)に対し、カットオフ条約の即時交渉開始及び5年以内の 妥結を含む作業計画に合意することを奨励。 • STARTプロセスの継続及び一方的核軍縮の推進 • 核兵器国による透明性の強化 • 余剰核分裂性物質のIAEA等による国際管理と処分 等 (4) 2005年NPT運用検討会議(於ニューヨーク) 会議では、実質事項に関する合意文書を採択することができなかった。
参考:外務省HP
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核問題
核の軍事利用 広島・長崎に落とされた原爆(今日の基準では小型とされている)程度のものでも、瞬時に人間社会を破壊させる。放射能の人体に与える影響は蓄積し、長い間苦しむことになる。 冷戦の終結により、米ソ間の核問題は解消したと思われた。しかし、1995年時点では米国は7800発、旧ソ連は8500発の核弾頭を保持しており、核戦争の可能性は今だ消えていないといえる。米ソだけではない。イギリス、フランス、中国、イスラエルは核武装を続けている。 これまでに核兵器発明や実験で世界各地の兵士や原発の作業員、またはその近隣の住民に多くの被爆者が出ている。老朽化した原子力潜水艦(核廃炉)の始末の問題も残っている。
核の平和 放射能はX線のように医療、農業にも使用されているが、核の平和利用において最も大切な論点となるのが原子力発電である。1995年の時点では、世界中に432基もの原発が存在し、世界の発電の17%は原発によるものである。原子力発電で発生するプルトニウム239は加工すれば軍事的に利用することが可能である。プルトニウム239はそれ自体、極微量でもきわめて危険なものであり、角砂糖一個分でも日本社会全体が破壊されるほどの猛毒だという科学者もいる。使用済み核燃料の再処理、廃炉の原子炉など高レベル、低レベルの放射性廃棄物の安全処理は、現在でもかなり困難である。また、核増殖炉は無限に発電できるが、今のところ実用化の可能性はない。また、日本においては原子力発電所が地震の震源断層の付近、あるいはその真上に立地されているものが多いため、きわめて危険な状態となっている。 2011年3月に発生した福島原発含め、原子力発電の事故として有名なものは1979年の米国スリーマイル島と、86年の旧ソ連・ウクライナ共和国のチェルノブイリである。多くの被爆者を出したチェルノブイリはいまだに半径30km以内は人が近づけない。もし、稼働中の原子力発電所が空爆されれば、核攻撃でなくとも原子力発電事故以上の破壊力がある。これらの危険を回避するためには、いつかは原子力発電の稼働を止める必要があると言える。
反核運動 核兵器が撤廃されるまでの間、現状以上の核実験、開発、配置などを禁じ、核拡散を防ぎ、非核地帯(ラテンアメリカやアフリカなど)を増やし、さらにプルトニウムの発生も止めるための国際的審査が必要とされている。原子力発電が放棄されるまでの間も安全性について十分に配慮すべきである。 日本でも、反核運動は2011年の福島での原子力発電の事故によるもの以外にも1954年以降にあった原水爆禁止運動があり、ヨーロッパでは50年代に核武装反対運動、70年代~80年代のINF(中距離核)配備反対運動など多く展開されている。核開発にはIAEA(国際原子力機関)も各国の政府も秘密主義をとっているので、より民主的な管理とともに、反核運動が必要である。
(参考文献:初瀬龍平 他著 『国際関係キーワード 明日の福祉国際社会のために』 有斐閣、広瀬隆 著 『福島原発メルトダウン』朝日新書)
--Daijiten2009 2012年8月3日 (金) 03:35 (JST)Golgo