一神教
出典: Jinkawiki
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概要
一神教とは複数の神ではなく、唯一つの神を信じる宗教であり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などがある。一神教では神は人間ではなく、親戚でもなく、まったくの赤の他人と考えられている。赤の他人であるから人間を創造する。創造するということは人間を作ったり壊したりできるということ、つまり人間は神の所有物ということになる。一神教の宗教を信仰する者たちにとって神とは人間と血のつながりのない全知全能な存在なのである。そのような絶対的な存在の前で人々は神の考えている通りに行動して身の安全をはかる。人々は神とは対等ではなく、神の前ではいつもへりくだって礼儀正しくするのである。
一神教の成立
キリスト教の母胎となったユダヤ教の成立は前13世紀のことである。この時に「出エジプト」という事件が起きた。当時のエジプトのもとで奴隷状態にあって苦しんでいた者たちがモーセという指導者のもと大挙して、エジプトから脱走した事件である。奴隷の脱走は失敗する危険が大きい企てだがこの時は成功した。彼らはこれを神のお蔭だと考え、モーセの指導もあり、ヤーヴェという神が彼らをエジプトから救い出したと考えた。その後彼らは現在のパレスチナであるカナンに侵入し、定着した。彼らはヤーヴェの導きによりエジプトからの解放が実現し、またヤーヴェがカナンの地を民に与えたと考えた。ここにヤーヴェという神を崇拝するイスラエル民族が成立し、これがユダヤ教の成立である。
カナンへの定着の後、イスラエル民族の統一王国を作ったが、前10世紀後半に南北の2つの王国に分裂する。前8世紀に北王国はアッシリアによって滅ぼされる。古代の戦争には国と国、民族と民族、軍隊と軍隊の戦いという意味だけではなく神と神の戦いとしての意味もあった。戦争に負けて国や民が滅びるとそこで崇拝されていた神も死ぬ。その神を崇拝する者がいなくなるからだ。戦争の敗北、民の族の滅亡によって神が死ぬということは神学的な問題もある。このような事態が生じるということは神が民を守らなかった、民を勝利に導かなかったということを意味する。このことは戦争での勝利という「人の側の要求」について神は当てにならない、頼りにならないということを意味し、この神は駄目な神ということになる。こうして人々は神から離れていき、その神を崇拝する者がいなくなり神は死ぬ。しかし、北王国が滅んでも南王国が残っていたためそのような事態にはならなかった。
南王国でもヤーヴェを崇拝していた。ダビデ王朝の王はヤーヴェとの関係で「神の子」、領土は「神から与えられた土地」、エルサレムにある神殿は「神の家」とされていたため、北王国の滅亡によりヤーヴェが駄目な神とされても神を見捨てることができなかった。こうした中で神学的思索が展開し、「契約の概念」が導入され「罪」の考え方が生じた。神と民が契約の当事者であり、両者に権利と義務がある。神は民に恵みないし救いを与え、民は神を崇拝する。北王国の民はアッシリアに滅ぼされる前にヤーヴェ以外の神を崇拝しており、彼らは神の民として神の前で相応しい態度をとっていなかったため、神に救われなかった。このように考えられたため、ヤーヴェは駄目な神ではなくなり、神の地位は救われた。
契約の概念が導入されると、神が義とされ、民が罪の状態にあるということになった。罪の状態にある民にとって、神の前での義の実現が最大の課題となる。そして、民が罪の状態に位置づけられることによって、民に対する神の優位が決定的になった。御利益宗教的あり方においては表面的に神が優位にあるような扱いを受けていても、人の側にどの神を選ぶかの権限があり、そして人が神に命令していた。しかし、人が罪の状態にあるのでは神に命令することができない。人の側の状態が神の前で不適切であるため、たとえ人が神に命令を出したとしても、その命令には十分な正当性がなく、神を動かすことができない。そして、民はヤーヴェ以外の神々を選ぶことが不可能になった。このため民にとっての神はヤーヴェ以外ではなくなる。民にとってヤーヴェのみが神であることが決定的になり、一神教的態度が成立した。
参考文献
- ふしぎなキリスト教 橋爪大三郎、大澤真幸 2011年 講談社現代新書
- 一神教の誕生-ユダヤ教からキリスト教へ 加藤隆 2002年 講談社現代新書
ハンドル名 イヌ