リチャード・ニクソン
出典: Jinkawiki
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リチャード・ニクソン(1913.1/9~1994.4/22)は、アメリカ合衆国の第36代副大統領と37代大統領を務めた。彼は冷戦という時代のなかでソビエト連邦との核兵力の削減やベトナム戦争の終結、中華人民共和国との国交成立など平和主義に尽力し高い評価を得た。しかしアメリカ民主制最大のスキャンダルといわれるウォーターゲート事件に関与したとされアメリカ史上はじめて、任期中に辞任を表明し辞職した大統領となった。少年時代から将来を約束されていて大統領になり暗殺されてしまったケネディと、なんの土台もなく大統領となりみずから辞職したニクソンはよく対比して語られる。
年表
1913 カリフォルニア州にて誕生
1946 サウス・カロライナ州から下院議員当選
1950 カリフォルニア州から上院議員当選
1952 アイゼンハワー政権で副大統領就任
1960 ケネディに大統領選で敗れる
1968 大統領就任
1969 「ヴェトナム化」を教書演説にてうちだす
1971 中華人民共和国、国際連合加盟
1972 ウォーターゲート問題浮上。 大統領選当選。
1973 ウォーターゲート事件に関する上院特別調査委員会が発足。
1974 録音テープを提出したのち辞任。 死去
ヴェトナム戦争
第二次インドシナ戦争とも言われる。この戦争はアメリカ側の資本主義陣営とソビエト連邦側の共産主義陣営との冷戦を背景とした「代理戦争」であった。南ヴェトナム崩壊、北ヴェトナムによる赤化統一という結果に終わった。アメリカはこの戦争で地元民によるゲリラ行為などの苦戦を強いられ、枯葉剤を空から散布するなどした。これによりいまでもヴェトナムでは枯葉剤のダイオキシンによる人々や自然への被害が問題となっている。アメリカは結果的にはじめて戦争に負けたうえに、非道な行為を行ったとして自分の国の評価を落とす結果になった。
ウォーターゲート事件
この事件はニクソン共和党政権の野党だった民主党本部があるウォーターゲート・ビル(ワシントンD.C.)に、「配管工」を自称する5人が盗聴器を仕掛けようと侵入したところで逮捕されたところからはじまった。ニクソンはこの事件への関与を完全否定したが後にひらかれた上院特別調査委員会の講習会でホワイトハウス法律顧問のディーン氏が、ミッチェル氏が侵入を命令したことやホワイトハウスが事件のもみ消し工作をしたこと、ニクソン大統領が侵入犯に口止め料をはらうといったことなどを証言した。これによりニクソンは辞職へとおいやられたのであった。
参考文献 『ラルース 世界史人物百科Ⅳ』 フランソワ・トレモリエール カトリーヌ・リシ 著 原書房 『戦略家ニクソン』 田久保忠衛 著 中公新書