国際人権規約3

出典: Jinkawiki

2012年8月9日 (木) 00:41 の版; 最新版を表示
←前の版 | 次の版→

国際人権規約ができるまでの経緯

国際連合憲章(1945年)は、前文において「基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女……の同権とに関する信念をあらためて確認」するとし、第1条で「人種、性、言語または宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励すること」を国際連合設立の目的の一つとした。その背景には、1930年代に登場したナチスドイツをはじめとする全体主義国家において、人権が抑圧されており、人権の国際的な保障の必要性が認識されたこと、連合国は大西洋憲章において、戦争目的として全ての人類の「恐怖及び欠乏からの解放」と「生命を全うすることを保障するような平和の確立」をうたっていたこと、西側諸国にとって経済活動の自由を保障する基盤を整備しておく必要があったことなどがあった。

しかし、国連憲章の文言は具体性を欠いていたため、1946年に設立された国連人権委員会が人権規定の具体化作業に着手した。人権委員会は、当初は単一の国際人権章典の作成を目指していたが、容易でなかったため、1948年に、まずは国連総会で法的拘束力を持たない世界人権宣言を採択することとした。

人権委員会は、その直後から条約の起草作業を始めたが、自由権のみならず社会権を含めるか、含めるとすれば一つの規約で定めるか、実施措置をいかなる形で定めるかという点について、国連加盟国の間で激しい議論が続いた。自由権と社会権の相互依存性から、規約に社会権を含める方針が定まったが、その後も、社会主義国が一つの規約にまとめることを主張したのに対し、西側諸国は伝統的な分類に従って自由権と社会権の二つに分けることを主張した。結果的に後者が採用されることとなり、人権委員会は1954年に起草作業を終えた。その後、国連総会(第3委員会)での逐条審議が行われ、1966年12月16日の第21回国際連合総会で採択された。1976年に発効した。


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成