ビルマ問題

出典: Jinkawiki

2013年2月1日 (金) 02:50 の版; 最新版を表示
←前の版 | 次の版→

概略

ビルマ問題を簡単に述べると、軍事政権による独裁政治により国民を武力によって支配されているということである。ミャンマー(1989年までの名称ビルマ)では、1962年に軍がクーデターによって政権を奪って以来、民主化されつつある現代にいたるまで、国内では強い権力を維持しているといえる。1988年には8月8日を頂点に学生、僧侶をはじめ広範なビルマ国民による反政府運動『8888(シッレイロン)民主化運動』が全国に広がる。軍は武力でこれを鎮圧し、9月18日にはクーデターによって全権を掌握、国家法秩序回復評議会(SLORC)を最高権力機関とする軍事政権が登場する。これにより、不法に逮捕され、ビルマ全国39箇所の刑務所に投獄されている政治囚の数は2100人を越える。これまでに140名の政治囚が軍事政権の拷問によって監獄の中で死亡した。また、こうした軍事政権の迫害を逃れて、およそ30万人の学生や市民がビルマとタイの国境へ逃れたほか、100万人以上が母国を離れ、世界各地に散らばっている。いわゆる、難民として国外へ避難しているということである。



ビルマ軍事政権の特徴

一般の軍事政権は、国防に特化した働きをするもので、国家が崩壊や分裂の危機に直面した場合のみ、やむを得ず全権を掌握し、一時的に統治を行うものである。その際、国家危機の原因と判断した「敵」に対しては、必要であれば拷問や超法規的処刑でも躊躇せず行われます。しかし、「敵」ではない一般国民とは、交渉や取引を通じ妥協し、彼らの中から軍政の支持基盤が形成されるように努力する。たとえば、国民が最も必要とする保健衛生や教育の充実や、経済活動の自由の保障などに力を入れて支持を得ようとするものである。「敵」を倒すために、「敵」ではない国民を、強制ではなく政治的取引によって軍政の味方にしようとするわけである。また、一般の軍政政権は「いずれ民政に戻さないといけない」と考え、たとえ渋々であっても民政移管に向けた準備をすすめ、「いかなる条件」が実現したら戻すのか、「いつまでに」「どのように」戻すのか、国民や国際社会に約束するのが一般的である。  しかし、ビルマの軍政は、こうした一般の軍政とは根本的に異なる。ビルマの軍事政権は「軍服を着た軍人」の集団であり、「政治家」の集団ではない。軍は国防に特化して働くべきという意識をもとから持っていない。ビルマの歴史的経緯から、政治的革命を推進する軍こそが崇高であると信じ込んでいるため、政治に介入することに何らの抵抗も感じないどころか、先進国に一般的な中立で政治と関わらない軍のあり方のほうを、逆に批判的に見ている。常に自分たちだけがビルマを牽引する唯一の正しい存在であるという自負心を持ち、議会制民主主義を嫌い、政党というものは党利党略にばかり走り、国民はそうした政党にだまされやすい存在なのだとみなす。ビルマの軍政は「政治家」の集団ではないので、政治に特有の交渉や取引、妥協を敗北ととらえる。「敵」が打倒対象であるという点では一般の軍政とまったく変わりないが、味方になりうる人々に対しても強制と命令を軸にして動かそうとする。ビルマ軍政は結果的に国民全員を「敵」にまわしてしまっているといえるのである。




参考文献

ビルマ市民フォーラム http://pfb-japan.org/?page_id=15 民主主義のビルマへ http://www.scdb.org/demob01.html

tekateka


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成