バルカン戦争
出典: Jinkawiki
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1912-13年の二回にわたって行われたバルカン半島諸国間の戦争。この戦争によってバルカンのキリスト教諸国はトラキアを除くヨーロッパのオスマン帝国領を解放しながら、同n時にバルカン諸国間の対立を生み出すこととなった。19世紀に政治的独立を達成したバルカン諸国は不安定な内政や領土問題のために20世紀初頭から軍事化の傾向を強めた。西欧列強はオスマン帝国領マケドニアの改革問題に干渉したが結着をみず、ブルガリアはロシアの了解のもと1912年にセルビアおよびギリシアとバルカン同盟を結んだ。1911-12年のイタリア・トルコ戦争でオスマン帝国が弱体化したのに乗じ、12年10月同盟軍はオスマン帝国に宣戦した。同盟軍は各戦線で勝利し、セルビア軍はスコピエ、ギリシア軍はテッサロニキを占領、ブルガリア軍はアドリアノープルを攻囲した。しかしバルカンへの発言権を保持しようとする列強の介入により同年ロンドンでいったん休戦協定が成立し講和交渉が始まった。しかしこれは青年トルコ革命によって中断され戦闘が再開されたが、ヤニナとアドリアノープルの陥落によって13年4月オスマン帝国側も承認した。しかし領土配分問題からまもなく同盟国間に対立が生じ、セルビア、ギリシア、ルーマニア、モンテネグロ、オスマン帝国が新たに同盟を結んでブルガリアを攻撃した。この戦争でブルガリアは大敗を喫し、同年8月ブカレスト条約によって第一次バルカン戦争で獲得したマケドニアとトラキアの大半を失ったほか南ドブロジャをルーマニアに譲渡した。またこの間にアルバニアが独立をした。再度バルカン戦争は結局バルカン諸国間の対立を激化し、バルカンはヨーロッパの火薬庫と呼ばれるようになり、第一次世界大戦を引き起こす一因となった。
参考文献 世界大百科事典 発行平凡社 HN KAHI