ガーナ
出典: Jinkawiki
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国名 ガーナ共和国
面積 238,537平方キロメートル(日本の約3分の2)
人口 約2,500万人
首都 アクラ
民族 アカン族,ガ族,エベ族,ダゴンバ族,マンプルシ族他
言語 英語(公用語)
宗教 国民の約半数がキリスト教徒,イスラム教約15%,その他伝統的宗教
政治体制 共和制
独立まで
1471年ポルトガル人が来航、以後ヨーロッパ諸国が内陸部の黄金を求めて侵入したため、周辺は黄金海岸(ゴールドコースト)とよばれた。1895年に英国が部族国家アシャンティ王国を征服して領有が確定。 1956年に旧ドイツ領であった英国信託統治領のトーゴランドを併合。 翌年英連邦の一員として正式に独立、その後に続くアフリカ独立ラッシュの先駆けとなった。
独立後
1957年3月 独立(初代首相エンクルマ)
1960年7月 共和制に移行。エンクルマが初代大統領に就任
1966年2月 軍・警察によるクーデター(エンクルマ追放)
1972年1月 軍部クーデター,アチャンポン将軍政権
1979年6月 ローリングス空軍大尉による軍事クーデター
1979年9月 民政移管リマン大統領就任
1981年12月 ローリングス元空軍大尉による軍事クーデター
1993年1月 民政移管ローリングス大統領就任
1996年12月 大統領選挙,国民議会選挙
1997年1月 ローリングス大統領再任
2001年1月 クフォー大統領就任
2005年1月 クフォー大統領再任
2009年1月 ミルズ大統領就任
2012年7月 ミルズ大統領逝去,マハマ副大統領が大統領に就任
2012年12月 大統領選挙,国民議会選挙
2013年1月 マハマ大統領就任
内政
1957年の独立から1981年のローリングス政権発足までの25年間にガーナは4回のクーデターを含め,頻繁に政権交代が繰り返された。1990年代に入って民主化が進み1992年,1996年に複数政党制の下で,平和裡に選挙が行われ,ローリングス大統領の指導の下長期にわたる政治的安定を享受した。ローリングス大統領は憲法の三選禁止規定を遵守し2000年12月の大統領選挙には出馬せず,野党のクフォー候補が選出され翌2001年1月に正式に大統領に就任した。同選挙はガーナの歴史上初めて選挙による与野党間の政権交代が平和裡に実現したものとして注目された。2004年,大統領,国民議会選挙が行われ,クフォー大統領が再選を果たした。クフォー大統領の任期満了に伴ない,2008年12月に大統領選挙が実施され,決選投票を経て,NDC(国家民主会議)のミルズ大統領が選出された。しかし,2012年7月,ミルズ大統領が逝去し,憲法の規定に従い,マハマ副大統領が大統領に就任した。2012年12月,大統領,国民議会選挙が行われ,マハマ大統領が当選した。
経済
ガーナ経済は農業・鉱業等に依存する典型的な一次産品依存型であり,主要輸出品も金,カカオ豆,木材が上位3位を占めている。国際市況及び天候の影響を受けやすい。主要産業の農業は国内総生産(GDP)の約30%,雇用の約60%を占める。1957年に英より独立した後,大規模インフラ案件の整備により開発への足がかりを築くが,1970年代後半から1980年代前半にかけて経済的困難に直面した。1983年から世銀主導の構造調整に取り組み,1980年代後半から平均5%のGDP成長率を維持し,アフリカの「優等生」と評された。しかし,1990年代の金やカカオの国際価格の低迷や原油の輸入価格高騰等により経済が悪化し,2001年のクフォー政権は,同年,拡大HIPC(重債務貧困国)イニシアティブ適用による債務救済を申請し,緊縮財政を基本とした経済改革を行った。2009年発足のミルズ政権下では,インフレ率の低下や為替レートの安定などマクロ経済指標の改善がみられたが,前政権から引き継いだ多額の債務の削減,インフラ整備,経済的な地域格差の是正等の課題が残っている。近年の大きな動きとしては,2010年12月に開始された石油の商業生産が挙げられ,石油収入を含めた2011年の経済成長率は13.6%を記録した。2011年の石油産出量は日産12万バレルを予定していたが,2012年1月の時点では技術的問題もあり日産8万バレルに留まっている。石油生産に伴い随伴ガスの開発も進む予定であり,ガーナは多くの国々から投資先として注目を集めている。また,2010年11月に適用されたGDP新算出法を基に計算した2009年の1人当たりGNIは1,190米ドルとなり,世銀の分類で中所得国となった。
参考文献
外務省HP http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ghana/ ガーナ共和国大使館HP http://www.ghanaembassy.or.jp/jp