本田利明
出典: Jinkawiki
2013年8月5日 (月) 14:49 の版; 最新版を表示
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1743~1820 経世家。越後に生まれ、江戸で今井兼庭に数学、千葉歳胤に天文学を学び、航海術も修める。その際最上徳内を蝦夷探索隊に推薦することもしている。『西域物語』などで新たな西洋知識による富国策として開国による重商主義的国営貿易など開国交易論を主張した。
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西域物語
1798年刊、全3巻。世人のよく知らない西域を標題としたという。西洋諸国の国勢風俗を記し、航海・貿易の必要と人口論とを合わせて説く。儒者とイギリスの教師像を比較考察し、国家大衆に無益と神儒仏三道を排斥した。また窮理学(きゅうりがく≒物理学)こそ真の学問であると強調し、天文、地理、渡海の学をもっとも重視して利明学説の基本とした。また、国学の簡素化、国産開発、渡海貿易、飢饉(ききん)救済論も詳述。人口増は天理であり、物価操作の有害を述べ、官営貿易の実施、蝦夷(えぞ)地開発、北方王国の建設を説く。西洋を理想とする意識が全編に目だつが、近代実学思想への到達を示す。
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経済秘策
1798年刊。国を経営し富を増すための秘訣となる政策が署名の意味で、天命の飢饉を経験して開国交易・属島開発などによる危機への打開を提案した。日本国家、通用金銀、四大急務(焔硝・諸金・船舶・属国開業)、人民天民、日本国務、慈仁、経済秘策考の7節で構成され、農民意見を取り入れて、民衆を助けることの重要性も示されている。
参考文献
改訂版「日本史B(A併記)用語集」山川出版社