ノート:イスラム教

出典: Jinkawiki

2013年8月6日 (火) 16:13 の版; 最新版を表示
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イスラム教と日本の関わりについて


日本とイスラーム諸国との関係が始まったのは明治以降である。ロシア革命後にはロシアから多くのムスリムが亡命してきた。1972年聖典クルアーンの日本語訳も初めて出版された。1973年の石油危機で産油国のイスラーム諸国に関心が高まった。しかし、日本人がイスラームに抱くイメージは依然として「砂漠のかなたの不思議な宗教」というものだった。  こうした日本におけるイスラームの状況に変化が現れたのは1980年代半ばのことだ。それはバブル期のことである。バブルを支えた製造業・建設業では労働力が不足し、アジア諸国から労働者が募られ、そのなかには南・東南アジアを中心とするイスラーム諸国も含まれていた。  1980年代ビザがとりやすく国内の何十倍も稼げる日本への出稼ぎに人気が集まった。1988年にイラン・イラク戦争が終わるとイランからも大勢の労働者が来日するようになったのである。また1993年には産業技術習得のための技能実習制度が導入されたため、インドネシアやマレーシアから来日する若者も増えた。  しかしあまりにも出稼ぎ労働者が増えたために、これらの国々との間でとられていた査証免除措置は1990年前後に相次いで停止されてしまった。さらには、1990年の改正入管法で日系人に合法的に単純労働も認める滞在資格が認定され、1991年にバブルが崩壊したことによって、イスラーム諸国からの出稼ぎ労働者の多くが帰国を余儀なくされてしまったのである。  他方で、これらの出稼ぎ労働者のほとんどは若者の男性だったため、なかには、日本人の女性と結婚し、滞在資格の安定を手にしたものもいた。そのおかげで、親族や同郷者とのネットワークを活かしてビジネスを起こすものもいた。  現在日本に暮らすムスリムは約6万3500人余りになるといわれている。日本人も合わせると約7万人余りにもなる。

  私のアルバイト先にもイスラム教信者のパキスタン人の父親と日本人の母親を持つ、同い年の男の子がいる。彼は、フリーターをやっている。 父親が熱心なイスラム教信者なため、彼も、厳格にイスラム教のおきてを守っている。先月の猛暑の日も日が落ちるまでは、飲み食いをしなかった。アルコールももちろん飲んでいない。 2001年の同時多発テロ以来、危険な宗教というイメージがあったが、 厳格におきてを守っている姿には感銘を受けた。 このような姿勢は、私たち日本人も見習わなければならない部分なのではないだろうか。


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