911事件Ⅶ
出典: Jinkawiki
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≪911事件≫
2001年9月11日(米東部時間)午前8時45分、アメリカで同時多発テロが発生した。4機の旅客機がハイジャックされた。テロの目標となったのはニューヨーク・マンハッタンの国際貿易センター地区にあるツインタワーとワシントンの国防総省(ペンタゴン)の2つの建物である。2機が相次いで激突した。最初に、ツインタワーのうちのノースタワー80階付近にアメリカン航空11便ボーイング767(乗員・乗客92名)が、続いて9時ごろサウスタワー中層部にユナイテッド航空175便ボーイング767(同65名)が突っ込んだ。両タワーは10時半までに相次いで倒壊。9時38分には国防総省西側部分にアメリカン航空77便ボーイング757(同64名)が激突した。また、ユナイテッド航空93便ボーイング757(同45名)は10時半ごろピッツバーグ大学西方に墜落した。ビルは炎上し、倒壊した。そして、5,000人以上の犠牲者が出たとみられている。
≪疑問点≫
1.貿易センタービルに飛行機が衝突したことは、映像が捉えているので間違えないが、それが伝えられる民間航空機であったという確たる映像上の証拠がない。民間旅客機に必ずあるロゴ等が明確に見えないために、貨物機であったとする見解もある。
2.ペンタゴンに突っ込んだ旅客機については、その残骸が残されておらず、そもそも飛行機が衝突したのが疑わしいとする見解も当初から出されていた。また、衝突跡も指摘される旅客機の衝突だとすると、開いた穴等が小さすぎ、合理的説明ができないという見解もある。
3.飛行機が突っ込む前に飛行機から携帯を家族にかけて、実際に緊迫した会話がなされたという証拠については、当時の携帯技術だと高い空を飛んでいるジェット機からかけることはほとんど不可能で、それが可能になったのは2004年からだということから、電話があったとしても、それはでっち上げをした勢力が架空の電話をかけたのではないかという疑問点が出されている。
≪オサマ・ビンラディン≫
合衆国国務省によって「世界のイスラム教過激派活動家で最も重要な資金支援者の一人」とレッテルを貼られたビンラディンは、ここ数年の多くの主要なテロ攻撃と主導権に関連がある――世界貿易センター爆破事件、クリントン大統領と法皇暗殺計画、サウジアラビアとソマリアでの合衆国軍攻撃など。彼は数百万ドルを使って、スーダン、フィリピン、アフガニスタンのテロ訓練キャンプに資金を出し、チェチェン、タジキスタン、さらにボスニアで、革命を煽動し、北アフリカ中のイスラム原理主義軍とともに戦うために、聖戦士を送り込んだ。1958年生まれのビンラディンは、サウジアラビアの最も裕福な建設業者の52人の息子のうちの十七男である。サウジの情報源の記憶では、彼は普通の青年だったが、強烈な信仰が現われ始めたのは、彼の一族の会社が再建にかかわったメッカとメディナの古代の聖なるモスクに魅了されたときであった。1980年代、ビンラディンは快適なサウジの自宅を離れ、ソ連に対するアフガン聖戦に参加した。皮肉にも、合衆国がCIA経由でアフガン・レジスタンスに30億ドルを出資したのは、この戦いのためだった。ビンラディンはアフガンのアラブ人のリーダーとなり、地域のヒーローとなったが、最初から最後まで合衆国の影響からは慎重に距離を置いた。戦争は、合衆国政府の憎悪と、過激なビンラディンの政策を結びつけた。後、彼はサウジ王家を「イスラム教徒には不十分だ」と述べ、運動を過激化させるために、暴力の使用をますます主張するようになった。サウジ政府はビンラディンを追放したので、スーダンに亡命した。しかし、合衆国、エジプト、サウジの圧力で、五年後、その国からも追放された。1996年、彼はアフガニスタンへ亡命した。タリバーンと親密な元ムジャヘディン司令官によれば、アフガニスタンでビンラディンは、隠遁者で片目のモハメド・オマルの指揮下、カブールのタリバーンの攻略に出資し、オマルの最も信頼される顧問となった。ビンラディンは、一族の50億ドルの資産のうち、3億ドルを個人的に統制しているといわれている。テロの財政家としての彼の役割は中枢的である、と専門家はいう。なぜなら、彼は彼自身の私的なテロネットワークを構築し、投資することで、過激派運動への投資に革命をもたらしたからである。ビンラディンは運動に、彼自身の財産だけでなく、商才をも捧げた。そして、「イスラム救済財団(Foundation for Islamic Salvation)」と呼ぶ漠然としたネットワークを通じて――その情報源は、合衆国、ヨーロッパ、中東の企業からカネを集めていると述べる――強力な修道者は、世界中のテロ運動の振興に資金を送り込んできたのである。
≪参考文献≫
第一学習社 http://www.daiichi-g.co.jp/komin/info/siryo/3/020115/fr/frsa.html
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/7102/history/tero.html
KR